■豊橋市中央図書館
旧宝飯郡御津町の図書館。
2014年11月の3連休、「つばさFly」(以下つばフラ)というロックなアイドルのライブに行きながら東北・函館を巡りに巡った遠征も大きな充足感と共に終え、また日常に埋没しながら東京でライブに通う日々が続くかと思った矢先のこと。
またしても、つばフラの東北遠征が決まったのでした。しかもそれは前回の遠征からわずか2週間後。さすがに早すぎる
それに加えて今度は、自分の推しの出身地である岩手県北上市で。
以前の記事(ep.4-0)でも書きましたが、初めてつばフラが北上でライブをしたのはこの3か月前、2014年の9月のことでした。
その時に行けなかった悔しさがあったので、この日は是が非でも行ってやろうという気持ちしかありませんでした。
もちろん、金銭的にはめちゃくちゃ厳しかったですが…w
その金銭的なこともあって、ライブやTwitter上でヲタク同士で話し合った結果、車を出してくれるヲタクに便乗して岩手へ向かうことになりました。財布がだいぶ助かるので、まさに渡りに船。ありがたい限りでした。
そんなこんなで、あっという間にその日はやってきました。
2014年12月5日金曜日、深夜の秋葉原駅に集合するヲタクたち。
最終的に、車の持ち主、自分と他2人の計4人で行くことになったのですが、そのうち1人は岐阜県に住むヲタクで、仕事を終えて新幹線に乗って夜に東京に着いたという、なかなかのつわもの…
ヲタク同士で車に乗り合って行く遠征は初めてだったので、心を躍らせながら、東北道を北へ向かいます。
今回の遠征は、
◆12月6日(土)→岩手県北上市:インストアライブ2回のあと、ライブ無しイベント1回
◆12月7日(日)→宮城県仙台市:ライブハウスで対バン
という、比較的回しやすい日程でした。これが逆だったら帰りがしんどいので…w
初日のインストアの1回目は13時から。割と余裕を持って北へ向かうことができそうでした。
基本的には持ち主がずっと運転していました。
その長い時間のうち、多くをつばフラについて語る時間に費やしたような気がします。普段ライブハウスにいる時間では話せないことを、たくさん話すことができました。
こういう時間は、やはり遠征だからこそ共有できる大切な時間だなと思います。
また、前回のように一人で電車に乗りながら移動する楽しさとは違って、途中のサービスエリアで食事をしたり写真を撮ったり、移動する時間も楽しく過ごすことができたのが嬉しかったです。
さて、東京から450km近くを走り、明け方近くになってようやく岩手県に入りました。
少し明るくなってきた周囲を見渡してみると、気づけばいつの間にか辺り一面が銀世界…
この週末は天気が崩れるとは聞いていたのですが、ちょうどこの日に前後して本格的な寒波がやって来ていて、まさか12月初旬にして早くも積もるほどの雪が降っているとは思わず、北国へ来たんだなぁ…とつくづく思い知るヲタクたち。
前沢SAで最後の休憩をした後、朝7時半頃に北上江釣子インターを降りて、北上市街へ。
ここで、北上まで夜行バスと電車でやってきたヲタクをTwitterで見かけたので、こちらの車に誘って行動を共にすることに。
それにしても、岩手に続々といつものヲタクが集まってくる構図がなんだか滑稽で、こういうのも遠征の醍醐味だなぁと思いました。
さて、イベントまで時間もあるので温泉でも行こうとになったのですが、方向を変えるために道路上でUターンした時のことでした。
道の脇に積もっていた雪に乗り上げてしまい、動けなくなってしまいました…苦笑
市街地でも積雪はあったのですが、アスファルト上の雪は融けているので大丈夫だろうと高をくくっていたんです。しかもノーマルタイヤのままで岩手まで来ていたという。完全に雪国なめてますね。
足立ナンバーの車の横を、せせら笑うかのように通り過ぎる岩手ナンバー…
タイヤの下にある雪を取り除いて、なんとか無事脱出することができました。
さて、調べて出てきた日帰り入浴のできる温泉ですが、北上市の西隣りの西和賀町にあるということだったので、国道107号を秋田との県境方向、つまり西の方角に進んでいきました。
すると、なんということでしょう。山の方に向かえば向かうほど天候は悪化し、市街地ではほとんど降ってなかった雪も奥羽山脈に近づくほど激しくなって、仕舞いには吹雪いてきたのです。
つばフラの当時の新曲に「もう何も見えない銀世界」というフレーズがあったのですが、これは見えなさすぎる。雪国やばい。
さすがにこれはまずいということで、途中で路肩に車を停め、車の主が前日に急きょド○キで買っていたという安物のチェーンを取り付けると、ようやく走行が安定しました。とはいえ安物のチェーンなので、おそらくこの土日もてばいいだろうというレベルのシロモノ。助手席にいる自分もなかなかスリリングでしたw
気づけば周囲は数十cm近く雪が積もるような場所まで来ていました。
とある場所で国道から外れて小道を走り、ようやく目的の日帰り温泉施設である「景勝園」さんに到着しました。(何故か写真は撮っていない)
車を降りて早速そこらに積もった雪で遊ぶヲタク…
その温泉は和賀川沿いにあって、雪景色の山あいを流れる川を眺めながら湯船につかるという、贅沢な時間を過ごすことができました。
国道から外れたところにあって周囲に集落も少なく、入っていく小道も厚い雪に囲まれているので、冬場はなかなかここまでくるお客さんが少ないというような話をスタッフの方としましたが、そのぶん秘湯感があって良い温泉でした。
温泉を堪能した我々は、時間もいい頃合いになったので、北上市街へ戻っていきました。市街に入るとやはり雪は少なくなりましたが、20km弱しか離れていないのに、北上市街と西和賀の山間部では雪の降り方や積もり方が全然違うことに驚きました。
さて、やってきたのは北上市街にあるアメリカンワールド。通称アメワ。
(写真は2017年7月撮影)
よくある地方都市の複合商業施設ですが、ここの面白いのは、名前の通り全体的にレトロアメリカンな装いになっていること、そして駐車場のど真ん中に小さな赤い観覧車があるということです。
以前(2014年9月)つばフラがここに来た時は駐車場でイベントをやっていて、この観覧車が一緒に写真に写っていたのですが、最初に思ったのは「この観覧車から何が見えるんだろう…」という疑問でした。
なお、翌年北上に来た時に乗りましたが、山と田んぼが見えただけでした…
さて、アメワの敷地内にあるモスバーガーで昼食を食べ、13時から始まるインストアイベントに向かいます。
会場は、これまた敷地内にあるアメリカンウェーブというお店の建物内でした。ここは2階建てで、1階が雑貨やおもちゃ、2階が書籍・CDの売り場となっていて、入口の吹き抜けにはオープンスペースがあり、すぐ横にはサーティーワンがあります。要するに、北上の最先端情報発信スポットなのです!(もちろん若干誇張しています)
アメワのイベントでは、遠征組と地元組が合計で20人前後いたかなと思います。数回しか岩手でライブをしていないし、ましてやそれも盛岡市でのことだったので、北上でこれだけ集まれば御の字とでも言いましょうか。まあこんなもんだよなという感じでした。盛岡と北上でも60km離れてますしね。
インストアライブは13時と15時の2回でした。(写真はその間に疲れ果てて眠るヲタク)
せっかくの推しの地元なので、特典会のチェキも多めに撮りたいなとは思ったのですが、2週間前にも大々的に東北まで遠征して金も使ったばかりだったし、このインストアはCD予約での特典会だったので、普段よりレギュレーションがキツく、クレジットカードも使えないので少し抑え目でした。
と言いつつ、このあと18時から近くのさくら野百貨店にあるヴィレッジヴァンガードでライブ無しのCD購入特典会があって、結局CDを買って特典会に参加していました…次の日もあるのに…
とはいえ何物にも代え難い思い出がつくれてよかったなと思いました。
今まで東京の現場で会ったり少し話したりしていただけのヲタクとも長い時間話すことができましたし、岩手のヲタクとも知り合いができて輪が広がっていく。それを肌で感じられて嬉しかったです。
さて、日も暮れる頃にはすっかり本格的な雪になっていて、市内を車で走るのもおそるおそる。
各々、北上駅近くのホテルに宿をとっていたので、この日はこれで解散。その後、気力のある人間だけでいいから飲み会をしようという話になって、自分を含めて3人が、北上駅前の飲み屋に集まりました。
そこで酒を酌み交わしながら色々と(主につばフラですが)話をしていたのですが、なんとこの3人、初めてつばフラを見たライブが同じ日(2014年6月21日の定期公演)だったのです。なんという偶然の一致。
年齢的にも3人とも当時30歳前後だったので、昔から現場にいるおじさんたちよりは若く、新しく来る人よりは歳を重ねているという中間管理職みたいな立場だよね、と話していました。
だからその中間管理職が古参と新規の間に入って潤滑油になることが、自分たちの役目じゃないかっていう、割と真面目な話をしていました。みんなつばフラが、推しが大好きなんだなぁと。
この飲み会は、三国志演義の「桃園の誓い」にかけて、「北上の誓い」と名付けられました。そして解散の最後の日まで、現場で顔を合わせ続けました。
この同期とも呼べる存在は、最後までとても心強い存在でした。
北上駅前は、降り積もる雪が街灯を反射してオレンジ色に染まって、寒いけども少し暖かい風景でした。
飲み屋の前でみんなと別れてからホテルまでの道のりを、「ああ、ここが推しの故郷か」と、少しセンチメンタルな気持ちになりながら、雪の上を歩いて帰りました。
2014年12月7日、日曜日。
翌朝は、辺り一面が完全なる銀世界でした。
せっかくだからと、雪積もる北上川のほとりを、ちょっと散歩してみました。
実は思ったより寒く感じなかったというか、関東とは違う寒さで、どちらかといえば北上の寒さのほうが好みでした。
一面銀世界という景色が珍しいわけではないのですが、東北には冬に来たことがなかったので、これでようやく自分も東北の四季を全部見ることができたのかと思いましたし、それは東北を好きな自分としては嬉しいことでした。
春になると、この川の向こうにある桜並木が花を咲かせて、きっと素晴らしい景色が見られるのだろう。そう考えると、また桜の咲く季節にここに来きたいなと思いました。
さて、ホテルに戻って荷造りをし、同じホテルに宿泊したヲタクで車に積もった雪を取り除いた後、各ホテルにいたヲタクを拾って、北上から東北道に乗って仙台へ。
そして東北道に乗って間もない頃、昨日付けた安物のチェーンがご臨終となりましたw
日も出てきて雪も少なくなったしもう要らないでしょ、ということでインター合流部に停車してチェーンを外すヲタクたち。
(※高速道路上での停車は、止むを得ない場合を除き法律上禁止となっています。大変危険ですので決して真似しないようにしてください!)
ライブハウスでの対バンは12時半からライブだったので、昼前に着いて北上で会った遠征ヲタクとも合流して、皆で牛タンを食べに行きました。
初めての仙台牛タン…めちゃうまでした…
そして仙台HOOKでライブ。
実は19時からもCDショップでインストアイベントがあったのですが、さすがに時間的に厳しいのと、この後も更に峠などで雪が振るんじゃないかという懸念もあったので、早めに仙台を離れることにしました。
東京に戻り、最後は軽く中華料理屋で食事をして終了、解散となりました。
東北の寒さに馴染んでしまったせいか東京は暖かく感じましたが、1週間ほどしたら結局寒い寒いって言い出し始めました…
そんなわけで、2014年の東北行きはこれでおしまい。
東北というと、それまでは数年に1回ぐらい秋田の母親の実家に行く程度だったのですが、いろいろな縁もあり、この年は5回も通うことになりました。
冬は積雪で歩きにくかったり運転しにくかったりするので、次来るなら翌年の春かなぁなどと思っていましたが、何のことはない。
この2か月後、またヲタクは北を目指すのでありました。
それは年に1回の特別な日。
ここから怒涛の2か月がやってきます。
次回、「ゆきつもるきたかみ」につづく。予定。
■この日のツイートはこちら→2014年12月6日
2014年11月、三連休を利用したライブ遠征で東北から北海道・函館までを回ったお話です。
3日目の朝に仙台から寝台特急北斗星に乗って函館に着いた後、市電でSKE48「キスだって左利き」のMVロケ地巡りをしました。(北斗星のお話はこちら、ロケ地巡りの記事はこちらです)
今回は、函館を発って津軽海峡を南下して盛岡へ向かいます!
というわけでこんにちは。2014年11月24日、午前11時頃の函館駅です。
4時間ほどのロケ地巡りを終えて、函館駅に戻ってきました。
キロポストに書かれた「0」という数字が北の大地の始発駅であることを強く印象づけますが、この1年半後には北海道新幹線が開業し、その終着である新函館北斗駅が新たな北の交通連接点となることで、函館駅の真価が問われることになります。
さて、函館からは11時19分発の特急白鳥22号に乗ります。隣りには、キハ183系の特急北斗の姿もありました。
特急白鳥に使用されていた485系3000番台は以前にも何度か乗ったことがありましたが、北海道新幹線開業を控え、間違いなく今回が最後になると思っていたので、それを噛みしめながら乗車します。
姿かたちはだいぶ変わったとはいえ、貴重な国鉄型車両ですからね…
列車は、当時まだJR江差線だった線路を南下していきます。
朝、寝台特急北斗星に乗っているときはまだ薄暗かったですが、正午も近くなって、函館湾・津軽海峡の景色が車窓からよく見えました。
その後開業した北海道新幹線は少し内陸側を走る上にトンネルが多いので、このような海の眺めはできないと聞きます。
それなので鉄道で函館に行く場合、木古内で新幹線を降り、この江差線から移管された道南いさりび鉄道で海を眺めながらの旅も大いにアリかなと!
その木古内からは北海道新幹線の軌道にもなる海峡線に入り、30分弱をかけて日本最長のトンネルである青函トンネルも抜けて津軽海峡を渡ると津軽今別駅に到着!
北海道新幹線開業後は奥津軽いまべつ駅に名前が変わりましたが、今も当時も本州(青森県)にある唯一のJR北海道の駅です。
当初から函館の滞在時間は、寝台特急北斗星と1日2往復しかこの駅に停車しない特急白鳥との間を狙って決めていました。
こちらは下り・函館方面ホーム。かつて本線とホームがあった場所は新幹線のものとなり、絶賛工事中。
それを挟み込むように在来線規格の狭軌線と仮設ホームが設置されています。
ちなみに仮設ホーム部分はその後撤去され、そこに側線として線路が横に1本追加されています。
Wikipediaに過去の様子を写した写真も載っていますが、この仮説待合室に取り付けている駅名板、おそらく以前の待合室に取り付けていたものをそのまま使用しているようですね。
ホーム上の駅名板もかな?
さて、前述の通り本線は新幹線となったため、駅入り口のある下り側から上りホームまでは、新幹線の線路をパスしなくてはなりません。
どうやって渡っていたのでしょうか?
なんと新幹線の線路上をそのまま歩いて渡ってました!
ミニ新幹線なんて線路の幅を広げただけのちゃちなもんじゃねぇ! 本物の新幹線の線路やぞ!
標準軌の線路は日本に数多あれど、新幹線の軌道に立ち入るというのは激レアイベント。
そりゃテンションも上がりますよw
狭軌在来線の線路移設が2013年10月で、その後工事のため津軽今別駅の利用停止が2015年8月。(※廃止は新幹線開業前日)
その1年10か月の中で新幹線軌道が敷設されたのが2014年夏頃のようなので、わずか1年間だけ見ることができる、大変貴重な風景を写真に収めることができました!
それなので、2014年11月現在は工事も佳境と思いきや軌道敷については大方の工事が終わっており、駅施設の工事が主になっている状況でした。狭軌線の側線も、仮設ホーム以外の場所は既に線路が敷設されています。
これは東北新幹線以上に過酷となる厳冬期の走行試験を2年に渡って行うため、この2014~15年の冬から既に試運転が始まることになっていたからです。
しかもなんと試運転開始後には、停車している新幹線の横を在来線が通過していくというレアofレアな光景が見られたそうです…(youtubeに動画が上がっています)
下り線を颯爽と駆け抜けていく、EH500型けん引の貨物列車。
この区間は現在、新幹線の電圧にも対応するために専用のEH800型がけん引しているので、EH500型が津軽海峡線を行く姿も過去帳入りしてしまいました。
しかしここが旅客だけでなく物流の大動脈であることは、トンネル開業時から何ら変わることはありません。
そしてこの駅が変わっているもう1つの理由が、この下にもう一つ駅があること。こちらはJR東日本・津軽線の津軽二股駅。
津軽今別駅はJR北海道・海峡線の駅なので、異なるJRの異なる路線の異なる駅が、なぜか寄り添って独立して存在しているという、これだけでも十分謎な…もといレアな光景。
もっと言うと、津軽二股駅の横には道の駅も併設されています。つまり異なる駅が3つも集中しているのですw
そして写真を見ていただくと分かりますが、周囲には山しかありません。そんな津軽半島の辺境地(失礼)にこんなネタ駅が存在しているんだから、そりゃ降りるしかないよねという話ですよ!
津軽の豪雪に耐えたこの旧津軽今別駅用の階段も、新幹線開業でめでたくお役御免となりました。
津軽線の線路上から、建設中の奥津軽いまべつ駅と、津軽二股駅。秋ということもあってか、ローカル感がより強くなっているように感じます。
ローカル線ではありますが、経営主体も違うため昨今の整備新幹線と違い並行在来線にはならず、新幹線開業後も存続しています。
なお、現在この場所には踏切…というか線路渡りはなく、この場所からの撮影はできなくなっています。
そして駅前広場の向こうは田んぼと山というガチの秘境駅っぷり…
(そもそも駅が所在する今別町の市街地は別の場所なので当然なのですが)
これは新幹線開業後も変わらないらしく、逆に開発されてほしくない気持ちもなくはないですね苦笑
道の駅の建物にあった「しあわせ駅長」。
なるほど、4つの駅があるから「し(4)あわせ」ということですね。なんて安直な
もちろん新幹線開業後は津軽今別駅廃止で3つになるんですが、その新幹線開業を待つことなく、2015年の道の駅リニューアルでひっそりと引退されたそうです。合掌。
そんなネタの宝庫だった津軽今別駅界隈とも別れの時。津軽二股駅から津軽線のディーゼルカーに乗り、青森方面へと向かいます。
12時38分に降り立って13時1分までの23分間でしたが、あっという間のひと時でした。
【余談】
べるしぃさんがよく拝見させていただいている廃道探索サイト「山さ行がねが」管理人のヨッキれんさんが、なんとほぼ同時期にここにいらっしゃっていたそうで、ミニというにはあまりにもボリューミーなミニレポを掲載されていますので、ぜひご一読いただければと。
途中、津軽線の車内から北海道新幹線と海峡線の合流点(新中小国信号場)を撮ってみました。
海峡線は1988年、北海道新幹線は2016年の開業ですが、その28年のブランクがこうも整合性を保って合わさるこのポイント、日本の土木の先見性と技術力が垣間見えて、個人的にはすごくツボな場所でした。
貨物列車に合わせて、海峡線の勾配がすごく緩やかになっているのも面白いですね。
列車は蟹田駅が終点だったので、乗り換えのため途中下車。
蟹田駅だけに、駅にはカニスマ駅長の津軽蟹夫さんが駐在されておりました! つっこみどころがありすぎてつっこまないけど嫌いじゃないよ!
蟹田駅は海(陸奥湾)が近いので見に行ってもよかったんですが、貨物列車が通ったりして意外と飽きなかったので、駅にいて見入ってました。本当にここは物流街道なんだなぁと感心しっぱなし。
ED79型重連がけん引する貨物列車も最後に見ることができてよかったです。
蟹田からは、写真の789系特急スーパー白鳥に乗って、一気に新青森駅へと向かいます!
2010年の東北新幹線全線開業で、新たな青森の玄関口となった新青森駅。
その後北海道新幹線開業まで、新青森駅で789系が見られたのはわずか6年という期間。それだけ日本の鉄道は日々進歩を遂げているというこの証左なのでしょう。
この後べるしぃさんは、今回の旅の目的だった推しグループのライブ遠征のために新幹線で盛岡へ。
盛岡市内のライブハウスでヲタクたちとライブを満喫した後、最終のはやぶさで千葉へと戻ったのでした。
北前船の時代が終わり、文明開化とともに津軽海峡は交通路としての重要性を増していく中、海路の限界、そして不幸な海難事故を乗り越え、叡智によって海の底を穿ち、鉄の道を通すに至りました。
そして2016年、不利な条件を内包しつつも、新幹線が北の大地まで届き、日本はまた狭くなりました。
「海を渡れ」。
この使命を全うすべく、この極寒の北国で邁進する人々がいる。
そう感じた海峡線の旅でした。
そして初めて岩手県に降り立ち、ライブを見ながら様々な列車や路線に乗り、ヲタク仲間とも親交を深めることができた今回のライブ遠征は、人生の中でも非常に思い出深いものとなりました。
ちなみに「海を渡れ」のタイトル元ネタはAKB48の曲です()
■この日のツイートはこちら→2014年11月24日
どうもこんにちは、根サケこと根がSKEのヲタクのべるしぃです。
さて、これまでの他記事でも書いているのですが、2014年11月の三連休に東北を旅行…というかライブ遠征する機会がありまして、三連休に使えるフリー切符を使っての大々的な遠征をしてたんですが、その切符のフリーエリアが函館まであったんです。
それだったらついでに、もうすぐ廃止になる(実はこの時点では公式発表前でしたが…)寝台特急北斗星も乗りたいなと思い、ノリで函館に行こうということになりました。
ただし函館の実質的な滞在時間は午前中のたった4時間半ほど…
最初はとりあえず市電全区間を完乗しつつ五稜郭を回る程度でいいかなと思っていたのですが、色々情報漁ってたら、SKE48が2012年9月(もう5年も経ってるの…)にリリースしたシングル「キスだって左利き」のミュージックビデオが函館で撮影されていたのを思い出しまして。
聖地巡礼という名のロケ地巡り大好きおじさんのべるしぃさん、もちろんこの機を逃すはずがありませんでした!
調べてみたところ、主なロケ地は下の3つ。
【1】函館市電・青柳町停留場
【2】八幡坂
【3】遺愛女子中学・高校
(記事の一番下にMVがありますので後程ご参照ください)
どれも全部市電で難なく行けることが分かりました。そもそも函館市街地は狭いのでそれはそうなのですがw
というわけでおはようございます。2014年11月24日・朝7時前の函館駅です。
前夜に福島から念願の寝台特急北斗星に乗車し、初の北海道上陸! 函館にやってまいりました!
函館と言えば早朝に開かれる朝市。そしてまさにベストな時間ではありますが、ヲタクなのでもちろん朝市はスルーして、市電乗り場へ向かいます。
この2014年11月当時、函館駅前は1年半後に控えた北海道新幹線開業に向けて絶賛整備中でした。
もちろん市電の函館駅前停留場も例外ではなく、なんか変な屋根の停留場に様変わりするところでした。
ちなみにこの写真の奥、函館山の側に仮設の停留場が設けられています。
さて、函館市電は2つの系統がありまして、函館山のふもとで「函館どっく前」と「谷地頭」の2方向に分かれるために2系統あるのですが、全体の8割ほどは重複しているため、その重複区間は2系統が交互にやってくる感じです。(画像はネット上から拝借)
日中は、重複区間は6分毎、系統が分かれた先は12分毎のパターンになっています。
なお、函館市電の運賃は均一制ではなく距離制になっていて、1回210~250円の整理券方式となっています。
正直観光客にとっては面倒な仕組みなので、3回以上乗るのであれば、600円(2017年10月現在)で一日乗車券が販売されているので、これを使ったほうが断然得だし楽です。
車内で運転士さんに言って購入することも可能ですし、乗車前の事前購入の場合、函館駅の観光案内所など各所で販売しているようです。
と、函館市電の簡単な案内はここまでにして、早速市電に乗ってロケ地巡りへ向かいましょう!
まずは函館駅前停留場から2系統に乗って、終点の谷地頭停留場へ向かい、2系統の末端区間を乗りつぶし。
乗ってきた電車でそのまま折り返していきますw
【1】青柳町停留場
そしてその谷地頭停留場の1つ隣りに青柳町という停留場があるのですが、ここが1つ目のロケ地ポイント!
ここは、当時チームSのメンバーだった木﨑ゆりあさんが電車を待っているシーンで使用されました。
(そういえばゆりあちゃんも卒業しちゃったんだよなぁ…つら…)
写真は、谷地頭始発の電車に乗って、最後部から撮影しました。後ろが函館山なので、カメラは青柳町停留所の北側(宝来町停留所側)から向けられていることが分かります。
ちなみに夜景で有名な函館山と呼ばれる山は、正しくは御殿山と呼ばれ、御殿山を含めたこの山地一帯を函館山と呼んでいます。
なお、前述の通り、この系統が重複しない区間は12分間隔でしたので、あまり時間が無くて青柳町では降りませんでした…苦笑
【2】八幡坂
谷地頭から電車に乗り、青柳町を通って十字街まで戻って、ここから函館どっく前行きの5系統に乗り換えます。そして1つ隣りの末広町停留場で下車。
…という予定だったのですが、市電で1駅なら歩いて行けるでしょということで、実際は十字街から歩いてみましたw
ちょうどこの辺りは函館山の麓が海に面している辺りで、幕末の開港以来、函館港の中心として栄えてきた場所。往時からの古い建築物が密集する景観地区でもあります。これは歩いて正解だったかも?
左は大正12年に建てられたという、丸井今井呉服店(今も百貨店として函館と札幌に存在)の函館支店を再利用した市の施設。右は海近くの赤レンガ倉庫街。
同じ北海道の港町である小樽と似た雰囲気を感じますが、NHKの「ブラタモリ」で、小樽に歴史的建造物があるのは「港町として発展したものの、衰退してそのまま残ってしまった」という消極的理由だったと言ってました。
ブラタモリの函館編では坂道と夜景、そして地形の話が中心でしたが、函館も小樽と同じ理由なのではと勝手ながら思っております。
閑話休題。
しばらく歩くと、函館山へ登っていく、やたらと広くて長い坂が見えてきました。
ここがどうやら八幡坂のようです。
一番上まで行ってみると、よく見たことがある景色が広がっていました。MVで見ただけではなく、函館の中でも最もポピュラーな景観のひとつでしたね。
こちらは、MVのオープニングで、珠理奈がランニングしていたシーンが撮影された場所です。
それにしても絵になるなぁ、ここ。
その後八幡坂を下って、坂の下の末広町停留場から再び市電5系統に乗車。終点・函館どっく前へと向かいました。
特に車止めも無く忽然と線路が道路から消失するさまは、普通の鉄道に慣れていると不思議な光景に映るかもしれませんね。
自分は地元の豊橋にある市電の運動公園前電停をちょくちょく見ていたので、まあこんな感じかと…w
ここからは、折り返して湯の川行きとなった電車に乗車します!
【3】遺愛女子中学・高校
函館どっく前から電車に乗り、函館駅前を通り過ぎ、杉並町停留場で下車。
と言いつつ、実は函館どっく前から湯の川まで乗りつぶして市電を完全乗車したあと、湯の川温泉停留場のすぐ近くにある足湯を偶然見つけたので立ち寄ってから、杉並町まで戻ってきました。
さて、その杉並町停留場のすぐ近くのあるのが、次のロケ地である遺愛女子中学・高校です。
そうです、完全なる女子校です。由緒ある超伝統校です。
…え、ここ入るの!?
いや、怪しくないです。ただのしがないアイドルヲタクです。(めちゃ怪しい)
というわけで人生初の女子校潜入…
並木道を抜けて見えてきたのは、MVで一番目を引く、あのレトロモダンな建物。
こちらが遺愛女子中高の本館です。
実はこの女子校、すごくオープンだったりします。
開門していれば、外観までは見学することができるのです。内観については、時々公開することもあるようですけども、基本的には外観のみです。
この日は祝日(日曜振替)、しかもこの時点で朝9時半頃だったのですが、もちろん歩いているのは女子生徒ばかり。とはいえよくあることだからか、闖入者に対して一瞥くれることもなく、スルーしてくれていましたw
この本館は1908年に建てられた洋風木造建築とのことで、築100年近く経過しているにもかかわらず現役。
外側も淡いパステルピンクっぽくなってて、とてもおしゃれですね。
このSKEのMVロケやジャケット撮影以外でも、多数のロケがこちらで行われているようです。
そういえば訪問時は気づかなかったけど、この自転車のシーンは門から本館までの並木道かな?
【番外】とあるハンバーガーショップ
さて、遺愛女子中高を離れて、近くにある五稜郭にも行ってきました。
西洋式城郭を真似て作られたので日本古来の城とは一線を画した造りになっていますが、なにぶん日本式城郭に慣れすぎていて、櫓も建てられた様子もなく五角形の縄張で堀があるだけで、防御はどうしているのだろう…という印象の城でした。
詳細は割愛しますが、ざっくり言うと日本式城郭は白兵戦(個人の銃撃戦も含めて)前提で、五稜郭は砲戦前提の要塞みたいなもの、ってことでしょうかね。
…ちなみにタワーには上っていません。
それはさておき、そろそろ函館駅に戻ろうと五稜郭公園前停留所に向かう最中。
なんか見たことある派手な建物を見つけたんですが、これ「キスだって左利き」でメンバーたちが集まってたお店じゃないの??と思って確認してみると、やはりその通りで、「ラッキーピエロ」なる函館ではメジャーなハンバーガーショップとのこと。
MVでは別の店舗で撮影されていたらしく、後で調べてみたら、最初の八幡坂の赤レンガ倉庫のすぐ近くでした…すぐ近くを通ったのに全然気づかなかった…
それにしても、なんだか某ドンキみたいに見えますねw
そんなこんなで、時間も迫っているので市電で函館駅前に戻り、推しへの北海道土産を駆け足で購入して、11時過ぎの特急に乗って函館を発ちました。
約4時間半ほどの短い函館でしたが、思った以上に濃密で楽しいロケ地めぐりでした。
SKEは以前にも宮城県仙台市の(ほぼ)女子校でMV撮影をしたことがありますし、なぜか北日本の女子校に縁があるようですね。
秋田県出身の母を持つ自称岩手県民の愛知県民としても、東海と北日本を繋いでくれているようでうれしい限りです。
ただ、次に函館に来るときは女の子と来たいですね(切実)
■この日のツイートはこちら→2014年11月24日
(そういえば公式のMV、ショートバージョンしかない…)
※時刻や料金、各種名称等は2014年11月現在のものです。その後変更されている場合がありますのでご注意ください。
というわけでおはようございます。
2014年11月23日(日)、午前6時。ホテルをチェックアウトして横手駅へとやってきました。
前日に盛岡で推しグループのライブを見た後本日はここからスタートです。
ここから北上まで、北上線の始発列車に乗って奥羽山脈を越えていきます!
わざわざ盛岡から横手まで来てここに泊まったのは、北上線にまだ乗ったことがなかったからなのです。これも三連休乗車券の為せる技…!
国道と並走しながら、険しい山道を進んでいきます。
晩秋の北東北は、景色も冬のそれに近づいている様子でした。
さて、県境を越えて岩手県に入ったところのほっとゆだ駅で早速途中下車。一部の界隈には名の知れた有名な駅なので降りてみたかったのですが、なにせ北上線は本数が少ないので途中下車しづらいんですよね。
それなので列車間隔が狭い朝の時間帯(それでも1時間ぐらいのレベルだけど)ならいけると思い、早朝から乗り鉄をしたわけです。
駅舎の写真を見るとのれんで分かりますが、この駅にはなんと日帰り温泉施設があるのです!
7時オープンして割とすぐに入ったのですが、当然ながら観光客らしい人は自分しかおらず、地元のおじちゃん達で大賑わいでした…笑
しかもこの温泉、浴場に鉄道の信号機が壁に掛けられています。(もちろん写真は撮っていない)
ちゃんと赤・黄・青と点滅するのですが、何を表しているかというと、列車の発車時刻までの時間を表しているんです。
ネットの情報ですと「青色:45分前、黄色:30分前、赤色:15分前」というように、本数の少ない列車に乗り遅れることがないよう、信号機で分かりやすく表示しています。
そんなわけで朝から小一時間温泉でのんびりしたらすっかり天気も良くなって、再び北上線に揺られて北上へ。
北上駅で岩手在住のヲタク仲間と合流して、彼らの車で仙台へ向かいました。
推しグループの三連休東北遠征の2日目です。
インストアイベントのあと、前日に盛岡でも会った遠征組のヲタク同士で牛タンを食べに行き、歳が近いのが集まったせいか、そこで酒を飲みながら色々言葉を交わすうちに、いつの間にか打ち解けて何時間も話していましたw
さて、彼らは翌日の三連休最終日である盛岡へは行かずに、ここで仙台から東京へ帰るということで、仙台駅前まで送ってもらってお別れ。
遠征先でこうやって色々と語り合ったり遊んだりしたのは皆初めてだったので、別れ際は皆感極まっていました。いわゆる「エモい」ってやつですね。とても良い2日目でした。
そんな感傷的な気分の中、鉄ヲタ家業を再開するべるしぃさん。
仙台から1時間ほど、いったん福島駅まで南下します。
いよいよ、北の大地へ向かう群青の列車に乗り込む時間がやってまいりました。
寝台特急北斗星に、最初で最後の乗車です。
本当は仙台から乗ってもよかったんですけど、やはりここはできる限り満喫したいですからね。
途中駅からの乗車ということで、始発駅で出発を待つあの独特の感覚はないですが、それでも寝台列車に乗る時というのは、不思議と気分が高揚するものです。
(そのせいか福島で北斗星の写真撮り損ねました…)
ちなみに寝台列車への乗車は、
1997年:特急「あけぼの」(上野→秋田・B個室ソロ)
2010年:急行「きたぐに」(米原→新潟・3段式B寝台下段)
2012年:特急「サンライズ瀬戸・出雲」(岡山→東京・B個室シングル)
と3回しかなく、あとは写真に収めることがほとんどでした。地元を通っていた東海道ブルトレには乗りたかったなぁ…
今回確保したのは、特に個室ではない「開放型」と呼ばれる2段式のB寝台。開放型2段式は初めてだったのと個室が取りづらい状況だったので、こちらの寝台をチョイス。
個室ではないですが、「きたぐに」の時に乗った3段式B寝台に比べれば、格段にスペースのある寝台でした。それでもその3段式B寝台の時は下段だったので、まだマシなほうだったのですが…
自分の寝台へ向かうと、区画の4つの寝台のうち3つは既にカーテンが閉まっていておやすみモードでした。まあ福島駅発が22時29分なので、特にすることもなければ寝てしまうのが普通ですよね…w
荷物をいじってガサゴソと音を出して安眠を妨害してもいけないので、最小限の荷物整理と着替えを済ませて、当然のように車内の見学へ向かいました。
「なんかテレビや雑誌で見たことあるやつだ!」
食堂車やロビーカーなんて普段乗る特急列車では全然見る機会もないので、列車内にこういった設備があるのが単純に新鮮でした。
が、車内をよく見てみると、ところどころ車齢を感じる痛みも若干ありました。
北斗星が走り始めたのが1988(昭和63)年ですから、2014年時点で26年。それより前にも使用していたのですから、これは仕方のないことかなと。それに極寒の地を走ってますしね。
結果的にこの半年後の2015年3月、北海道新幹線の開通を待たずして定期運用は廃止され、その年の夏を最後に完全に引退しました。
とはいえ、食堂車やロビーカーがあり、個室寝台を中心とした設備は、廃止間近にしてなお往時の隆盛を感じさせるにふさわしい威容でした。
またロビーカーでは、車内販売の係員さんが限定グッズを販売していて、夜遅くにもかかわらずなかなかの盛況ぶりでした。
車内見学を少ししたあとは、寝床に戻り、カーテンを閉めて、着替えをしながらスマホをいじって位置情報を使ったゲームなどをしていました。
こういう寝台って、ちょっと秘密基地っぽさありますよね。
当然ながら興奮してあまり眠ることはできず、ときどき目が覚めたりしながら、気づくと列車は函館湾を望む位置まで来ており、牽引機は朱色のED79になり、進行方向も変わっていました。
いよいよ北海道に初上陸か…と、初めて見る北の大地の風景を眺めながら独り感慨に浸っていました。
下車する準備をしているうちに列車は函館に近づき、福島から約8時間、午前6時35分に北斗星は函館に到着しました!
初めての降り立つ北海道。頭端式のホームが、北の始発駅に来たという旅情を駆り立てます。
ここでED79は役目を終え、札幌までは青色のDD51が重連で引っ張っていきます。
本当は全区間乗りとおしたかったのですが、こればかりはどうしようもないというか、むしろ乗れたことを幸運と思っておきたいですね。
自分が8時間お世話になった列車を写真に収めて、更なる終着駅を目指してラストスパートする群青の列車をお見送り。
北海道新幹線開業のために寝台特急北斗星が廃止されるとは前々から発表されていましたが、実はこの旅の直後に正式に発表されまして。
寝台特急北斗星乗り納めには、すごくいいタイミングだったのかなと思います。
そんなこんなで最初で最後の寝台特急北斗星を満喫し、迎えた遠征3日目の朝。
このあとは盛岡へ向かいます。
お忘れかもしれませんがライブ遠征なので…笑
次回へ続く。
→その後函館でロケ地巡り
■函館市電で行こう! SKE48「キスだって左利き」MVロケ地めぐり
→ロケ地巡り後盛岡へ行ったお話はこちら
■この日のツイートはこちら→2014年11月23日