キリンとアライグマが文学について話すイラスト

 

◆取材の余話を少しだけ。
小説の真価を判断するには、「10年、20年じゃなく、50年、100年の歳月が必要」。2023年2月のインタビューで、宮本輝さんはそうおっしゃっていました。1960年代から現在に至る文学史の証言を読み返すと、その言葉が切実さをまして響いてきます。時代が下がっても読み継がれる作品は、新鮮な輝きを放ちながら読者の心で生き続け、作家は作品が読まれることで、作家であり続けます。「そこで作品が生きているか。作品を残していくのは、読者の人たち。」インタビューの結びの一言は、長く描き続けている人ならではの重みがありました。(真崎隆文)
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『キリンが文学を聞いたら』書肆侃侃房(しょしかんかんぼう)

のあとがき+(プラス)に書かれていた編集者による短文です。

宮本輝氏の言葉が目に留まりました。

インタビューしながら、ずっしりとした言葉を耳にして、

この編集者さん、動けなくなったのではないかな…そんな想像をしました。

 

非常に味わい深い、重厚な言葉を、何ごともないような顔で、

さらっと言ってしまうのが宮本氏です。

編集者にして、こういうあとがきを書いてくれる人は、貴重な方。

「作家とは何者か」という宮本氏の思想が、一文で伝わってきます。

それが、最後の一行でしょう。
「そこで作品が生きているか。作品を残していくのは、読者の人たち。」
ここがまさに宮本氏。圧倒的な重厚感ですね。

入口の作家は「自分が何を残したか」を語りたくなるはずです。

半世紀以上も書き続けた作家は、作品の生命を、読者の手へ渡します。


「出版された瞬間、作品は作家のものではなくなっていく」のです。
それは、実は、みんな頭ではわかっていることなのですが、

心まではそうなってない…そういう場面がままあります。


たとえば、10年後に読まれる。
20年後に誰かの人生を支える。
50年後、100年後に、まったく違う時代を生きる人が読む。

そのとき読者の心の中で、

「この人物、今の自分と似ているな」
「この言葉、今の時代にも通じるな」
「この作品を書いた人は、こんなことを考えていたのか」

と、新しい生命を得ていく。
だから、作品の寿命を決めるのは、作者ではなく読者なのです。
ここに「50年、100年経たなければ小説の真価は分からない」

という言葉がつながります。

売れたか。話題になったか。

賞を取ったか。その時代に評価されたか。
それだけでは、本当の意味で「残った」とは言えません。

そもそも残すことを考えていない作家も多いでしょう。

いま、売れればいい…そう思う人の作品は、残る必要はありません。

 

時代が変わっても、なお誰かの心の中で生きているか。
宮本氏が見ているのは、そこなのだと思います。

デビュー当時、古風な作家とよく言われていました。

宮本氏は「では、新しいって何ですか」と応じていました。

このやり取り自体が、文学とは何かを表しています。

編集者の真崎さんは、「う~ん、なるほど…」

「まいったな…」「やられたな…」と唸ったか分かりませんが、

恐らくそうだったのだろうと感じました。

でなければ、2年後の記事に用いませんよね。

証拠も書いてあります。自らの告白と言ってよいでしょう。

真崎氏はこの言葉を聞いた瞬間だけでなく、

ずっと、この言葉の重さを感じて過ごしているのです。
 

 「1960年代から現在に至る文学史の証言を読み返すと、

その言葉が切実さをまして響いてきます。」ここです。

2023年のインタビューの後、文学史を振り返る仕事をしています。
そこで、
「ああ、宮本さんが言っていたことは、こういうことだったのか」
と、言葉が、静かに沁みて来た。
言葉そのものが時間によって熟成したことを告白しています。
これは実に文学的です。そしてその余韻こそが、宮本文学なのです。

山下事務所でも、実は最近、掘り下げているのが100年企業です。
「100年続けてきた企業を、次の100年へ渡せる会社にする」
には何が必要か。このテーマと、非常によく似ています。

企業も、作家も、その人が生きている間だけで完成するものではない。
作家は作品を書く。経営者は会社をつくる。
しかし、その作品が後世の読者に読まれるか。
その会社が後世の人に必要とされるか…

いうまでもなく、最後に決めるのは、自分ではありませんね。

だからこそ、今の評価だけを追いかける必要がなくなるのです。
「今、どう見られているか」から、
「50年後、100年後にも意味があるものになっているか」
へ、視点が移る。これは経営においても、人生にあっても、

ものすごく大きな視点転換だと思います。

そして、この境地に立てる人は、稀かもしれません。

今回の短文で上がった、宮本氏の言葉のもう一つは、
「そこで作品が生きているか」という問いです。

「残っているか」ではないのです。
「生きているか」ここには大きな違いがあります。

本棚に保存されているだけなら、「残っている」。
でも、誰かが読み、感じ、考え、人生を少し変えるなら、「生きている」。

会社も同じではないでしょうか。
創業者の名前が残っているだけでは、会社は生きているとは言えない。
次の世代の社員が、自分たちの判断で顧客を喜ばせ、

地域に必要とされ、利益を生み、また次の世代に渡していく。
そのとき初めて、「会社が生きている」と言える。

そう考えると、宮本輝氏の「作品」と、

山下事務所が考えている「会社」は、

深いところで、かなり重なり合っているな…と感じます。

そして会計とは、まさに、

その「生きている姿」を、後世に渡すための

記録と言語だ、という気さえしてきます。

 

こういうと、洒落たこと言いやがってと、怒られそうですが、

会計は、文学的センスがないと、磨けないかもしれません。

作者は作品をつくる。経営者は会社をつくる。
しかし、その生命を未来へ運び続けるのは、次の人たちである。


文学は、自身の境涯を上げるためにある…そんな気がしませんか。
そう。間違いなく、近道だと思います。

日ごろの経営だけで境涯を高めるのは至難です…

そう感じている方、先ずはぜひ、この本を手に取ってください。

 

喧々諤々の議論の末、選ばれた作品群。

読みたくなる本が、きっと見つかります。

 

すべては中小企業の「存続と成長と発展」のため!

いつもお読みいただきありがとうございます。