今日出会ったのは、干支が二回り違う青年でした。
そんな若者が事業をしています。
いえ、そのくらい私が太陽を回ったということです。
組織に馴染めないので独立したといいます。
なぜ馴染めないのか、勇気を出して突っ込んでみました。
その理由は、私の頭で理解できる範囲のものではありませんでしたが、
彼と同じように、そう感じている人が多いことだけは理解しました。
そして、その感情こそが正解であろうと、感じました。
理解はできないが、感じることはできるのでした。
そう、これは個人の心の問題ではないのです。
フリーランスが多くなっているのは、この青年の感性が1人だけのものでない証拠です。
しかし中小企業は非効率だということで、政府によって淘汰されてしまうかもしれません。
(もちろん、そうしようと思っても、そうならないであろうと確信していますが…)
中小企業を淘汰したらどうなるか。
フリーランスが激増するだけのことになると、私は感じています。
これから淘汰されるかもしれない中小企業政策が動こうとしている先に、
すでにフリーランス化は加速しているからです。
江戸時代でいう、いわゆる素浪人のような人が増えたらいい。
ある意味そんな気もします。江戸時代の多様性は実に面白そうです。
現代はフリーランスが、その多様性の主役かもしれません。
非効率を効率化しようと、単純に思えば思うほど、多様性が進んでしまう。
そんなことになるのが、世の中の面白さです。
フリーランスが有象無象する社会。
一件、無秩序のように見えて、実は、調和が取れている。
この姿こそが、究極のリス久マネジメントかもしれません。
彼が教えてくれたことは、これだけではありません。
またの機会にご報告いたします。
すべては地域社会の「存続と成長と発展」のため。
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