手元にある本は、文庫本ですが、元々中公新書として出版されたものです。

初版は1966(昭和41)年。著者は1926(昭和2)年の生まれ。

1952(昭和27)年に、京都大学文学部史学科を卒業しています。

また京都の方です。ご縁があります。但し、ご出身は奈良のようです。

先日ご紹介した『アーロン収容所』の著者、

会田雄次氏も同大学の同学部を1940(昭和15)年に卒業されていますから、

今回の著者は会田氏からみれば、生粋の後輩です。

この書を著すにあたり、指導を受けておられたことがはしがきから伺えます。

この本を手にした理由は、それまでの読書の流れとはまったく関連性がないのですが、

結果として、連続性が保たれていて、何だか啓示を受けているような気がします。

京都の神さまか、著者の魂による導きか。面白いものです。

京都の方の説く歴史認識なら無条件に信じてしまう、

まさに鵜呑みにしてしまう病にかかっている者としては、

このお導きには、甚深なものを感じます。書いている時期も良いです。

急速な戦後復興の中で、自信を取り戻しつつあった当時の日本人。

そのなかで、先の戦争が何であったのかを体験者として整理しつつ、

経済発展の最中で無造作に西洋化していく祖国を眺め、

これから先の日本人のために意を唱え、いわば警鐘乱打した作品です。

食という視点から、思想の違いを見ていく。説得力があります。

なぜ日本は近代化できたか。自由と平等をいう概念を実利のものとして捉えたか。

著者は、自由と平等は「フィクション」で、西欧人なら誰でも理解していることだと言います。

この本に従い時代を区分すると、明治から戦争でアメリカに負けるまで。

戦後から本書が出版されたころまでとなります。

時間的にはバランスが悪いですが、著者の生きた時間で捉えれば、バランスが取れます。

そこから50年という時を経た今、読ませていただけたことが、私にとっては良いことでした。

時代を3つに区分することができます。半世紀も前の考えですが、

読んでいただければ論理構成は微動だにしないことがわかります。

日本人の食生活は、肉食化が進んでいると言いますが、資料をもとに、

実際は、西欧人とは比較にならないほど、肉を食べていないと著者は分析します。

そうして、肉食と宗教の妥協が、西欧人の人間中心主義を生み出すと展開していきます。

半世紀を経て、いまこの本を手にしている私は、

肉とワインをこよなく愛し、日々積極的に摂取しています。

その姿を著者が見たら、口をきいてくれないでしょう。

私のような日の丸や君が代が大好きな日本人でも、そのような食生活になっています。

自由と平等は、階級社会の軋轢を和らげる一種の解毒剤であったのに、

日本では、これを政治的実体として受け入れてしまった、というのが著者の主張ですが、

となれば、肉食化が進んでいる日本は、やがて自由と平等はフィクションであり、

多数決による意思決定が愚かなものであることに気づくようになるのかもしれません。

しかし、内閣の移り変わりの速さなどをみていると、

日本人の気質は、今も昔もほとんど変わっていないような気がします。

1931(昭和6)年から1945(昭和20)年までに、日本では、首相が13人交代しました。

同じ期間に、アメリカでは3名、イギリスとドイツは5名となっています。

いまでも同じスピードで首相は変わります。戦後も同じことです。

しかし、戦争遂行という国の運命をかけた一大事の時期にあっても、

そのような内閣の作り方をしてしまうところに、むしゃくしゃしたものを感じたようです。

どれだけ肉とワインを口にするようになったところで、

やはり「そば」と「すし」を外すことはできないでしょう。

肉食の思想を消化してしまうのが日本人なのではないかな。

そんな風な感想をもち、書を閉じました。

 

今回も良書に出合えました。

おかげさまで、すべて上手く行っています!

本日もお読みいただき、ありがとうございました。