ツイート転載
コロナ渦前後の日本の”今”をなんとか生きながらえよってたかって嬲られ”殺された”一人の少女の賽の河原のような日々。
映画にしたからこそ透明化されなかったあんの現実のあんの世界の一抹はただただ腹立たしく悔しい。
あんは何も悪くない。あんは善い子。
傑作
上手い下手とかそういうんじゃなかった。憑依とも違う。「居る」 #河合優実
#佐藤二朗 さんの刑事。「そんな」予感していたんよね...イヤな見方だと思っている。でもそういうこと起こりかねないし、俺が想像したようにどこか穿って見られがち、見てしまいがちな気がしている。両面とも彼。生々しい
「あん(たち)のこと」で「あん(た)のこと」って頭過ったけど、正直今は実際会った「特殊なケース」だと思ってしまう。思いたい願望かも。「たち」だって思いたくないしさせてはいけない。他人事だけど他人にとっては切実。透明にしない。冷笑しない。自己責任で単純に割り切らない
フィクションだったら今時こんな設定や展開しないよなあ、が事実ベースという…
そして現実はフィクションのようにはいかない。神の視点は存在しない。
透明少女の視野が狭まり世界も透明になっていく無慈悲を無風に描く。
誰も手を差し伸べられない。あとのまつり。無力感
あんのこと。
彼女の家庭・母親への描き込みについて。社会福祉の境界に置かれていることは冒頭に示される。
なぜあんな風になるのか。劇映画的に解明したくなるのは敢えてしなかった
あんのこと。
早見あかりさん演じたこの映画もう一人の母親。彼女の最初の振る舞い以上にその後の発言・心情が恐ろしくて悍ましくて。
あんが受け入れ一線も越そうとするくらいになった心情と合わせて考えている