原発問題について考えてみた | 海っていいなあ

海っていいなあ

海に癒される

長崎で生まれ育った自分にとって今までずっと常に


抱き続けている違和感がある


小学校の6年間、担任の先生がほとんどが


長崎で実際に被爆されているか、


被爆の様子をリアルタイムに見てこられた経験がある先生だった


その担任の先生から聞くリアルな話はとても怖かったし


小学校5年生の見学旅行で原爆資料館にいったとき


女子はみんなが、そしてクラスの男の子までもが資料館を出た後、嘔吐していた


日本がほとんど戦争に負けている状態だったときに


アメリカは広島と長崎に無差別の市民に対して原爆を投下し


何十万人という人間を殺戮した


日本は別に原爆を落とされなくてもまず降伏するのは時間の問題だったはずだ


どんな屁理屈をアメリカが言っても、2発も投下する必要は絶対ないはずだ


なのに


戦後、日本人が声高に原爆を落としたことに対してアメリカを非難するシーンを


あまり見たことはない


「ふざけんなよアメリカ!原爆を罪もない市民に落としやがって!このやろう!」


という、長蛇のデモ風景も見たことないし


外交で、アメリカに対して感情的に怒っている政治家も僕の記憶では見たことない


絶対、僕と同じ思いを持っている人はたくさんいるはずなのに


なぜ、そういう怒っている日本人を目にすることがないんだろう


いまだにこの違和感は払拭できずにいる


きっと、アメリカから洗脳されるかコントロールされてきたのだろう


違和感が完全に払拭できるわけではないが、最近になって


そんな史実を目にするようになった




毎年、広島と長崎では核のない世界をと平和式典を行っている


世界で唯一の被爆国、日本で、平和の祈りをささげ二度と被爆の悲惨な光景を見たくない


その思いがみんなあるはずなのに、なぜ原発を推進し


結果的に福島では多くの被爆者を出してしまっている


なんと、愚かなことなのだろう


正力松太郎が経済の発展と引き換えに危険極まりない原発を推進していく


確かに、戦後日本は豊かになった


アメリカの庇護の下に、アメリカの裕福さを物まねし、どんどん贅沢を目指してきた


でも、心の豊かさより見せかけの豊かさを目指し


見せかけの豊かさが、さも正しい豊かさだとマスコミも一緒に煽ってきた


日本は戦争に負けていったいどこへ向かおうとして経済発展し


そしてこれからどこへ向かおうとしているのだろうか


将来100年単位の国家としての目指すべき方向をグランドデザインする


そんな政治家としての役割を何とか果たしてほしい




自分の違和感を払拭するために少し考えてみた


日本は、アメリカにこてんぱんに戦争で負けた悔しい過去を


早く忘れて、忘れるためにもがむしゃらに仕事をして経済を発展させる道しか


なかったのかもしれない


原発だって諸刃の剣とわかっていつつ、経済発展にはかかせないと


リスクには目をつぶって、またまたがむしゃらにその道を選んできたのかもしれない


世の中の真理は、バランスだ


大きくふれたふりこは元に戻ろうとして反対側に大きくふれる


日本という国家の中で原発での経済発展の副作用がおこっているのだろう


でも


いつの世も、犠牲になるのはお年寄りだったり子供だったり


そして、残されたものたちは愛する人を失って初めてことの重大さに身が竦むのだ




小学校・中学校・高校と同級生だった友人が


18歳で白血病で亡くなった


彼は被爆二世でお父さんとお母さんが被爆されていた


お父さんとお母さんの悲しみと辛さは想像を絶するが


今、その悲しみの連鎖が福島に生まれようとしていることを考えるとやりきれない