僕の個人的なブログになります。
1985年8月12日
日航機123便御巣鷹山墜落事故から
35年目の夏を迎えていますね。
当時、僕は小学生でしたが、
未だにこの事故のニュースを
鮮明に覚えています。
ニュース自体は鮮明に覚えているのですが、
当時小学生の僕は、
この事故を
安易に人ごとのように
捉えていたように思います。
しかし、数年経ち、
中学生になり、高校生になり、
大学生になり、社会人となり、、、、
出張等で
飛行機に乗る機会も増えてきた頃。。。
思い出すんです。
セミが朝から『ミンミンミンミン』
泣き続け、
どこからともなく、
風鈴の音が『チリンチリン』
聞こえてきて、
白い入道雲が青い空に
ソフトクリームのように見渡せる
時期になると、
生々しくもその当時の惨状を
紹介するマスコミも出始め、
ようやくこの事故の
真相や状況を徐々に理解
し始めたのを記憶しています。
500名以上の
命を奪った
前代未聞のジャンボ機墜落事故。
のちに報道されましたが、
この墜落事故には
様々な運命のいたずらが
ありました。
当時、なぜか羽田空港行きの
京急線に遅れが出たそうです。
その遅れにより、
123便に乗り遅れて事故を回避した人。
逆に
キャンセル発生で
繰り上げて123便に搭乗してしまい
事故に遭遇してしまった人。
芸能人の
明石家さん◯さん、
逸見政◯さん家族、稲◯淳二さんらも
この123便に搭乗するはずだったというのは、有名な話です。
明石家さん◯さんは
偶然にも東京での
『オレたちひょうきん族』の
収録が長引き、
当時大阪行きの123便への
搭乗を直前で回避しています。
本来なら123便のチケットを
買っていたので、
収録が偶然にも遅れなければ
明石家さん◯さんは
この便に搭乗していていたことに
なります。
逸見政◯さんも
この123便で大阪に向かう予定でしたが
息子の太郎さんが、
飛行機は値段が高いから、新幹線で行こうと家族に進言し、奥様も飛行機が苦手ということもあり、直前で新幹線に変更していた。
息子太郎さんの進言がなければ、家族はこの便に搭乗していたことになります。
稲◯淳二さんも、
当日たまたま体調が悪く、偶然にも
直前で新幹線に変更したということでした。
体調が良ければこの便に搭乗していたことになります。
そして、坂◯九さんは
元々J◯Lが嫌いだったらしいのですが、
(普段はAN◯を利用していた)
どうしてもこの時間帯に知人の選挙応援に行かなければならないという理由で、この時間帯の123便しか
なく。。。
帰らぬ人となってしまいました。
数奇な運命が入り乱れた
墜落事故でした。
そして、更に衝撃を受けたのは
墜落する直前に家族にあてた
遺書のメモが、
ある会社員のポケットから
見つかったことです。
もし、自分なら
その瞬間にメモを家族に
残せるだろうか。
機体がダッチロールして、
グラグラ揺れ、
乗客は泣き叫び、
不安と恐怖で体が震えて、
心拍数が異常に上がっている中で、
メモを残せるか。。。
僕は自問自答しました。
『出来ないだろうな。。。』
メモは
このような内容だったそうです。
『マリコ、津慶、知代子』と始まり、
『どうか仲良くがんばってママを助けてあげて下さい』
『本当に今迄は幸せな人生だったと感謝している』と結ぶ、219字の遺書だったと。
僕はこの内容を
初めて見たときに、
涙が溢れてきました。
あの恐怖の中、
家族のことを思い、妻のことを
支えるよう子供達に指示を出し、
人生に感謝を唱えた
この会社員に感服します。
さぞかし、
家族を愛していたのだろうなと
妻を愛していたのだろうなと、
本当に切なくなりました。
最後に
なぜ、
この記事を
書こうと思ったのか。は
これも偶然なのか
たまたま昨日8月11日夕方に
車を運転していました。
何気なくつけた
ラジオから
坂◯九さんの『上を向いて歩こう』が
流れてきたんです。
女性シンガーが歌っていました。
女性シンガーが
歌っていましたが、
僕の頭の中には
坂◯九さんの
あの優しそうな顔が
浮かんでいました。
そして、なぜか
僕も車を運転しながら、
無意識に
歌を歌っていました。
『上を向いて歩こう〜♬』
『なみだがこぼれないように〜🎶』
丁度みんながヘッドライトを
付け出す、
夕方から夜にかけての時間帯。
周りの車を運転する人の
目を気にしながら、
少し恥ずかしい気持ちで、
でも人目もはばからず、
大声で歌っていました。
『思い出す、夏の日〜🎶』
『ひとりぽっちの夜〜♬』
御巣鷹山墜落事故。。。
あれから
34年経過、35年目を迎えた
日航機は
あの悲惨な事故以来、
一人の犠牲者も航空機事故では
出していないそうです。
1985年夏の教訓が
このまま永遠に
生かされていくことを
切に願います。
今、JA◯の社員で
この事故を実際に
経験した社員は
全社員の10%だそうです。
残り90%はこの事故後に
入社した社員です。
パイロットの飲酒問題しかり、
あり得ない問題が続いています。
この事故は、
機体トラブルでの墜落でしたが、
人々の安全を守るという意味で
絶対に風化させてはいけない
事故だと思っています。
そして、
亡くなられた全ての方々に
あらためて御冥福をお祈りします。
令和元年8月12日
see you✌️







