ベンゾバディの超長いサクセスストーリー
超長い物語。数回に分けて紹介してます
前回はこちら
2013年11月1日投稿
Analog1「
離婚後
この時点で私は仕事に打ち込み、次に何をすべきか、どこへ行くべきかを考えていました。さてクロノピンの奇妙なのは、3か月ごとに通院し薬を処方してもらう必要があることです。私はその時点では何も考えていませんでした。後になってこれはレッドフラッグになりますが、、、おそらくこの薬は良いものではない。
主治医に私が薬で経験していたことを説明すると、彼女はとりあえず服用を続けることを提案しました。”たぶん、役に立っていると思いますよ”。わたしはその時にはかなり「どうでもいい」感じになっていた。彼女はまた、もし薬のせいで調子が良くないと思われるなら1錠を4分割してそのうちの4分の1を服用するとか、4分の1を朝、昼、晩にわけて飲むとかするといい、と提案しました。そして言われた通りにしたんです。
薬が本当には何をしているのか考えていませんでした。子供を失ったこと、そして働き続けなければならないこと、この薬はそういった問題すべてをまとめている接着剤のようでした。
前触れ
翌年は、クロノピンに関する事件がいくつかありました。最初は、私が非常に活発になり、頻繁に外出し、今までになく社交的になったことです。またバンドで遊び始め、たくさんパーティーをしました。こんな生活に完全にしびれていました。アラートが鳴るほど危険な状況、わたしは鎮静化されている、または無思考化されている、それゆえこの薬は鎮静薬(トランキライザー)であるわけですが、この段階では私はあまりにも酒を飲みすぎたり飲酒運転したり、「社会的注意」についてはまったく考えませんでした。人々の気持ちに無関心だったり、自分自身にも無関心だった。べつに私が反抗したり攻撃的だったというわけではありません。ただ通常注意深く行動したり躊躇したりするような思考の波を持っていなかったということです。私の性格上用心深くなるケースであるときは特に、これは奇妙にも顕著に現れました。
とりつかれている!
クロノピンを使い果たすことになったことが2回ありました。1回目は、自分で何気なくしたことです。私は「それを必要としている」ということを当時は本当に知りませんでした。それを切望したり、ハイになったりしたことは決してありません、もし服用を逃したなら体は「薬が無い!薬を服用しろ!」と言うでしょう。で、実際そうなりました。翌日、死ぬかと思いました。氷のように冷えて震えてずっとベッドに横になっていました。主治医の診察室に電話し、手に入るまで部分的なストックを求めて電話をかけまくってくれました。
バカなことにわたしはこの原因を直接クロノピンに結び付けませんでした。その時は。なにか変なものを食べて、そして薬がさらに症状を悪くしたのだろうと思ったのです。
2回目は、その年の後半に車が故障し薬が入っていたジムのバッグが盗まれたんです。そして私はこの薬に問題があるとついに気づきました。医者がまた薬をかき集めてくれて、私はクロノピンを是非ともやめたいと思いました。しかし私はまだ自分が正しい方向とは真逆を向いていることを理解していませんでした。
」
訳注: クロノピン=リボトリール、ランドセン
※ みなさん、減薬手法はアシュトンマニュアルを読んで基礎知識をつけたのち、米国NPO団体BICのメディカルボード医師達監修のもとに作られたベンゾジアゼピンテーパリング戦略とソリューションを参考にしてください。
それと、専門医を探そうとしている方はベンゾ専門医の見つけ方:ベンゾ断薬10のヒントを読んでみてください。自称”専門家”や"カウンセラー”が減薬バブルに乗って乱立してきてるのですぐに飛びつかないように!!
『ベンゾの減薬は年単位で』
『ベンゾ依存は依存(addiction)ではなく薬剤性神経障害(injury)』
はじめましての方はこちら