ベンゾバディの超長いサクセスストーリー
超長い物語。数回に分けて紹介します
前回はこちら
2013年11月1日投稿
Analog1「
プロローグ
私が定期的に通院し始めたのは約7年前のことでした。ストーリーに関連するので、状況について少し説明します。私は27歳でした。私は約5年間非常に不安定な結婚生活を送っていました。2歳と4歳の子供が2人。そしてかなり優秀な会社でフルタイムの仕事をしていました。約1年前、わりと成功していたバンドをやめることになりました。前妻は私にバンドをやめるか、彼女が私の子供たちと一緒に去るかどちらかの最終通告を突きつけてきたのです。もちろんバンドはやめたくありませんでしたが子供たちを失いたくはありませんでした。
最初に向精神薬を処方された時
わたしは禁煙しようとしました。
私は医師に、かなり定期的に運動していると説明しました。彼女は、私はかなり健康的だしいまのうちに禁煙するのはとても良いことだと述べた。なのでさりげなく医者に打ち明けました。少し不眠症を抱えていて、音楽を演奏できないことがストレスになっていると。医者はザイバンを試してみようと言います。 Zybanは、ウェルブトリンというSSRIまたは抗うつ薬のことです(訳注:NDRI。ブプロピオンのことで日本では販売されていない)。ウェルブトリンユーザーの多くが喫煙欲求を失うことに気づいた製造業者はそれを禁煙薬として売り出していたのです。抗うつ剤、という汚名を消すために商品名もZybanと変えて。
医者に「何ですかその薬は?」ときくと、一般的にウェルブトリンとして知られているもので、およそ6週間の服薬で喫煙をやめるのに役立つはず。そしてついでに良い睡眠と気分、音楽を演奏しないストレスを軽減するかもしれない。また「非常に軽度な副作用のみ」であろうと言いました。副作用について心配しなくてもよいと。私が抗鬱剤に関して経験した唯一の個人的な経験は、高校時代に数カ月間母親が服薬したときです。母は別人に変身した。それは超怖かったです、一種の虚無人間でした、母はすぐに服薬をやめてすぐ後に通常に戻りました。そんなわけで私は心配したのだが「あなたを信じましょう。試してみることにします」と返事しました。
選択的セロトニン再取り込み阻害薬(SSRI)
それは土曜日の朝だった。私は土曜日にも仕事場にいき、毎週残されたオーバーワークをたいてい土曜日に間に合わせるようにしていました。土曜日に働くことは楽しかった。音楽を鳴らして、作業に集中、雑務、そしていくらかの残業代を得ます。今朝は3回目の服薬だったかな。建物の裏側まで来たとき、幻覚ではなく、すべてが違って見えたのを覚えています。インスタグラムのフィルタのようにすべてがオレンジ色を帯びていました。戸口に行き、自動警報を消し、そして自分の机にいつものように向かったけれど。いつもの自分の環境が初めてのようで「ここで何をしているんだっけ?」と自問し続けましたが、それを振り払おうとしました。金属味とプラスチックのような匂いが混ざり合っていました。私は集中することができず非常に興奮していました。これは奇妙な副作用であるに違いない。コーヒーを飲めば消えるかもしれないし、水を飲むと消えるかもしれないし、食べると消えるかも?。しかし、私はなにも食べたり飲んだりしたくなかった。
私はただこの動揺から逃れたかった。それで外に出て煙を吸うことにしました。タバコに火をつけた瞬間、即座にタバコの匂いが気分の悪いものになってました。タバコは吸いたいのです。しかし吸えない。イライラしました。どんどんイライラしてきて、もう帰ろうと思いました。家に帰って腹がたってしょうがないので床に寝っ転がり妻と子どもたちに私から離れてひとりにしてくれ、といいました。
数日後普通に戻りました。そういうわけで、結局それがわたしが抗うつ剤と呼ばれるものを服薬する最後の日だったのでした。」
※ みなさん、減薬手法はアシュトンマニュアルを読んで基礎知識をつけたのち、米国NPO団体BICのメディカルボード医師達監修のもとに作られたベンゾジアゼピンテーパリング戦略とソリューションを参考にしてください。
それと、専門医を探そうとしている方はベンゾ専門医の見つけ方:ベンゾ断薬10のヒントを読んでみてください。自称”専門家”や"カウンセラー”が減薬バブルに乗って乱立してきてるのですぐに飛びつかないように!!
『ベンゾの減薬は年単位で』
『ベンゾ依存は依存(addiction)ではなく薬剤性神経障害(injury)』
はじめましての方はこちら