これでもってBenzo Buddiesの紹介はとりあえず一段落にしようかな

 

翻訳作業疲れちゃったあせる

 

無料奉仕だしーえー

 

 

 

今回も長〜いから前後半に分けてアップするよ上矢印

 

 

 

 

自由への回帰

 

「わたしは常にここにサクセスストーリーを書くことを約束してきた。そうすることがわたしの後に続く人々の激励になることを信じて。自分に2度めの人生があることがとても信じられないくらい酷い状態のときに、このサイトのサクセスストーリーはわたしにとって命綱だったから。

 

わたしがどうのようにしてベンゾ服用に至ったか、詳しく話すつもりはないです。だいたいみなさんと同じよ。医者が安全な薬だと言い、バカなことにそれを盲信した。わたしのベンゾ服用期間はテーパリングにかけた22ヶ月を含めて12年半です。服用薬はXanax(アルプラゾラム、ソラナックス)、Clonopin(クロナゼパム、リボトリール)、Valium(ジアゼパム、セルシン)よ。最大時はジアゼパム換算で120mg! 

 今はベンゾなしになって17ヶ月になる。

 

わたしの服用中の進捗は以下のリンクで見てほしい。詳しく書いてあるわ。

 

http://www.benzobuddies.org/forum/index.php?topic=57531.20

 

 

わたしはかなり早く耐性がついてしまったわ。今ならよくわかる。

それは歯科治療で1ヶ月に3回の治療を受けた際、ジアゼパムを処方されたんだ。筋肉の痛みと焼け付くような感覚を覚えている。そしてそれがベンゾとの戦いの幕開けだった。

 

次の10年間、わたしは落ちぶれた。そこそこビジネスで成功していてあちこちを飛び回っていたんだけど、家に引きこもるようになってしまった。恐れおののき、希望をなくし、コンビニに行くことすらできなくなった。外出時はつねにパニック状態にあって身体中痛いのよ。

医者もわからない病気なんだと思った。

主治医は筋肉のリラクゼーションとかベンゾの処方量を増やすとかしていった。

そのたびにしばらくはマシにはなったわ。

 

それこそいろんな専門医に行った。

内分泌学者、リウマチ学者、胃腸科医、耳鼻科医、心臓病学者、腎臓科医、ホリスティック、何人かのカイロプラクティック、書籍で知って、治癒を約束した2人の医師、ユングニアンセラピストとFeldenkriasセラピスト、 気功師、さらにはオクラホマ州からバーモント州まで行って、ヒーリングとやらに3日と5,000ドルかけたわ。

献身的な夫とわたしはお金を節約するために貧困層住宅に引っ越しました。

 

この3年の間に告げられた病名は、線維筋痛、セリアック病、ループス、心臓不整脈、過敏性腸、GERD、必須高血圧、デュピュイトレン拘縮、甲状腺機能不全、睡眠時無呼吸、メタボリックシンドローム、副腎疲労、大うつ病、急性不安およびPTSD。

 

そしてその後10年間、わたしは完全にあきらめたわ。もう生きていたくなかった。

自殺しない唯一の理由はただひとつ。わたしの友人が首吊り自殺して、その家族が壊滅的になったのを知っていたので。だからだいぶ年上の夫がわたしより先に逝けば、よろこんで後を追うつもりだった。それまでは待とうってね。

 

わたしはお酒を飲むようになった。ある種のセルフヒーリングね。そしてらだいぶ楽になったの。ドクターはそれでクロナゼパムを一気断薬した。かわりに3分の1相当(カットしたクロナゼパムのジアゼパム換算で3分の1)のジアゼパムをくれたわ。

それから、ものすごい恐怖感が出現したためにドクターに告げたところ、症状が抜けるまではしばらくお酒で紛らわすようにと指示されました。そのときの彼のセリフ、“ジアゼパムはお酒を丸薬にしたようなものだから”。

実際、飲んでいる間はかなりラクになりました。今ならそれが、単にダウンレギュレートしたGABA受容体に及ぼす影響であることはわかるわよ(要はお酒はベンゾの増量と同じことね)。だからもちろん、同じ効果を得るためにますます多くのアルコールが必要になっていくのよ。

最悪のときなんか、朝にコーヒーポットのボタンを押して、ビールを持ってガレージに行き、コーヒーができあがる間にタバコを吸ってビールを飲んでた。24時間で22本のビールを飲んだ。

そのあいだに入院もして、脳卒中患者がするようなバランスを取り戻す治療も受けたりしたわ。

わたしは生きていなかった。

ただ、存在していただけ。

 

 

 

偶然、私は図書館にいて、新刊を手にとった。タイトルは[解説:魔法の弾丸? 精神薬と精神疾患の驚異的上昇]ロバート・ウィテカー著。カバーには脳の写真があり、様々な精神薬が脳のあちこちに書き込まれていました。

 

私はベンゾジアゼピン系の章をめくり読み進めた。まるで自分自身について書いてある!。実際に私にあるすべての症状がそこに書かれていたの。水の滴りが肌を焼くように感じるからシャワーを浴びることができない、とかわけわからない恐怖感で自分をコントロールできない、とか。わたしのことじゃないか!

そこではクロナゼパムをやめたところ症状が酷くなり、再服用したらもとに戻った、と書いてあった。

医療者の監督下で慎重にテーパリングを行わなければならないという箇所も読みました。

 

 

主治医にこのことを話すと、彼は否定し、処方量内だから依存にはならないはずだ、と言いました。そうね。確かに処方量内だわ。

それでもいろいろ調べ続けて、ついにデトックス施設を見つけたの。2010年12月30日にチェックインしたわ。

その日の朝、ジアゼパム10mg、クロナゼパム1mg、ビール2本のんで臨んだ。大丈夫・・・怖くない。

 

残念ながら地獄の11日間が続いた。

爪の白い部分が成長するのに数ヶ月かかり、そこでの経験は完全にトラウマになり、髪の毛はワイヤーヘアーみたくなってしまい、10歳以上も老けました。

 

わたしはベンゾフリー、アルコールフリーで出所したけれど、幻覚・幻聴、脱水症状になってた。

メガネの調整云々でなく、みている文字が見れなくなった。

家にいるのにボートの上に乗っているよう。絶えず揺れている。

家では寝たきり。

夫が外出のときはひとしきり恐ろしく、彼が帰ってくるまで死にそうで頭を抱えていた。

壁は動くスクリーンのように何かを写してスライドショーのように動いていた。

 

 

3日後、“わたしを診たい”という精神科医がいると聞きました。受付の人が電話で“うちのドクターがあなたを助けますよ”と言ってくれたときの希望の火を忘れていません。

その医師のところに行く前日、主治医に会いに行ったわ。12年間ベンゾを出し続け処方量内だから依存していないと言い続け、わたしを絶対に信用せずそしていまはすべての原因をなぜかアルコールのせいにしていてそれでいてベンゾを処方しなくなった。はあ?

彼はリブリウム25mgの処方箋と5日間の減薬プランを書いた。

 

翌日、新しい精神科医の待合室で座っているとき、壁は呼吸しているように動いていて急速に色が変化していました。

目を閉じると漫画が動いていました。

医師に呼ばれ、立ち上がって彼女に付いて歩いていってる時は自分が数フィート高い位置を歩いているよう。

自分の症状を彼女に説明するのにひどく困難を極めました。

でも明らかに、彼女には何が悪いかわかっていたわ。

彼女はリブリウムを捨てさせ、家に帰ってジアゼパムを再服用し症状が安定するまで服用しそれから漸減することを主張した。それを“適切なテーパリング”と呼んだ。

 

わたしは時々彼女を見かけては、いまでも困難と苦しみの日々を思い出し吐きそうになると同時に、わたしを世界の片隅でみつけてくれてありがとう、と感謝の気持ちでいっぱいになるのよ。

 

 

 

 

 

な げ え 〜 ぐぅぐぅ

 

 

太字と赤字で書いたとこ重要ね。試験に出るよグッ

  • テーパリングに22ヶ月かけた
  • 最初は歯科医でベンゾを処方された
  • お酒はベンゾと同じ(似てる)
  • デトックス施設(依存専門施設)はベンゾ離脱にはなんの役にも立たない

 

 

 

 

後半につづくウインク