今日からはBenzo Buddiesのサクセスストーリーカテゴリから書き込みを紹介していくね。

 

 

しかし長い。みんな長いよあせる

嬉しいんだろうね、すごく詳しく投稿するひとが多いです。

 

紹介するのは2016年の投稿。

だから自分でも認めてるけどたぶんテーパリングのペースが早すぎたケースだと思う。

 

長いので2ページに分けて載せるよ。イエイビックリマーク(長っ汗疲れたチーン

 

 

わたしのサクセスストーリー、イエイ!(18ヶ月間の地獄からの生還)

 

前編:

「こんにちは。

わたしが最後にこのサイトに来てから6ヶ月かそれ以上経ったかな。もちろん良い意味で戻ってきました。いまでは95%以上回復したと言えます。わたしは自分の成功談を語ることでみなさんを励ましたい。わたしが苦しんでいる間、みなさんの成功談はとても励みになりましたから。いちおう言っておくと、わたしが回復した道はみなさんがよく耳にするようなものとはちょっと違います。

 

わたしのストーリーは2004年に始まります。ある日、地元のレストランでメニューボードを見上げていたとき、私は眩暈を催しました。私の筋肉は痙攣し、絶え間ない頭痛があり、他にももっと症状があったはずです。わたしはまだ26歳で大柄でなにひとつ病気をしたことがありませんでした。まっすぐ歩けないものだから仕事にも行けず、そのまま6ヶ月間ドクターは様々な診断テストを行いました。ALS、またはクローン病、またはジリアンバール・・・まあ結局彼らもわからず精神的不安が原因だろうと言いそしてわたしはそれを信じました。ジェイゾロフトを処方してくれたがまったく効果はなく、今だから言えることだがジェイゾロフトはわたしにさらに症状を追加したと思います。

 

まあ、時間がたつにつれてめまいが消え始めました。頭痛もすこしづつ良くなってきました。しかし、私がジェイゾロフトをやめようとすると、不安症状が増すことに気付きました。私はこれらの抗うつ薬が、退薬しようとするたびに別のなにかを服用しなければならないという点で、良くないと信じています。

時間節約のために、精神科医は別の医者を紹介しそしてまた…という具合です。あるときわたしは“もう十分だ”と思い、馬鹿なことにパキシルを一気断薬しました。わたしは泣き、眠れず、不安症状は以前の200%に悪化しました。もはや耐えられず、当時の“素晴らしい”主治医はパキシルを再服薬してゆっくりテーパリングするという手段を取らず、クロナゼパムを処方したのです。(これは、2004年にゾロフトを始めてからおよそ7年後のことです。)

最初は低用量でしたが結局私は1日1.5mgを服用していました。わたしは自分でなにも調べず完全に医療を信用していました。主治医は何をしているのかわかってたんじゃないかと推測しますが、とにもかくにも症状は悪化していくのでした。

 

実際クロナゼパムはよく効いて、それを服用すれば不安は解消され正常に動けました。まるでキャンディストアの子供みたいに1日3回0.5mg錠をポンっと口に放り込んで、それでわたしは幸せな気分になりました。

2014年4月、妻と3人の子供と一緒にディズニーランドにいました。そのときまた不安症状が現れ、そのときなんとなくわかったのは抑えるのにさらに多くのクロナゼパムが必要だと感じたことです。もしくはクロナゼパムそのものが不安症状を引き起こしていたのかも。クロナゼパムを服用して数時間たっても効果がでませんでした。もはや1.5mgでは足りない?。

結局“もしかしたら”10年間信用していた精神医療も精神科医も助けになっているどころか“害”でしかなかったのではないか。

それでやっと自分で調べることになり、このBenzo Buddiesというサイトを見つけたのです。

わたしはすべての人の書き込みを読み、他のサイトとも比較し何千人もの人々が苦しんでいる事実を見つけ、それらが精神医療による医原性のものだとわかりました。

わたしは早速主治医に電話し学んだことを話したが彼は完全却下。むしろ彼はわたしの服用量を増やそうとしました!そしてクロナゼパム2.0mgを処方したがったのです(最終的にわたしは彼を調べ上げ、公的記録によりファイザー製薬からキックバックをもらっていたことをつきとめました)。

わたしはその主治医を去り、増薬でなく減薬に協力的な医師を探しました。その医師も懐疑的でわたし自身の不安障害のせいだと主張しましたが、わたしのやり方を尊重してくれ結局なにもかも自分自身でやることになったのです。

 

そうしてクロナゼパム減薬を始めることになったのだが、言わせてほしい・・・完全無欠な地獄の生活でした。全部は覚えていません、ただただ“絶え間のない”不安地獄にいました。認めます。わたしのテーパリングペースは早すぎたんです。早くこの毒をわたしの体内から出して永遠にオサラバしたかったのです。

わたしの苦しみを言葉で表そうとしても、あらゆる表現が“真っ当でない”のです。頭痛、痙攣、眼の痛みがありました。クロナゼパムを断薬した日には耳鳴りが起こりました。それはまだ完全に治っていません。でも他の症状にくらべれば対処できます。2014年4月から2015年6月頃までは“絶え間なく”苦しんでいました。幸せなんて感じませんし大好きな音楽を聞くと体が痛くなるのです。

毎朝起きて、スポーツイベントに子供を連れて行ったり、ビールを持ったり、妻と一緒にデート・ナイトに行ったりするという考えは、身体的、精神的な苦しみを引き起こしました。ベッドで横になっていたかった。でも毎日“無理やり”自分を奮い立たせました。

何週間、何ヶ月もつづく恐ろしい波を浴びていた、ここにいるみなさんのように。絶え間のない恐ろしい波の狭間でほんの時々、オアシスの窓が開きました。しかしそれはけして長く続かない。落胆・・・

Benzo Buddiesを読んで成功ストーリーに慰みを得ながら生きていたんです。(注意してください。わたしは正直にわたしのケースを書いていますが、他の成功ストーリーとは違います。人それぞれなんです)。」

 


つづく・・・