置き場所があったら、我が家の玄関に置いてみたい気がするが・・・立派な迫力、シンガポールイメージは十分くらい。口から水を吐かないのが・・・・残念、ここは汐留。
汐留サイドにはトンと縁の無くなったこの頃だが、新橋駅を基点として食風俗が二極化しているのがヨーク分かる。チェーン化しているお洒落チックな汐留サイドと、居酒屋のオヤジ天国という風にだ。また、観光化してりる汐留サイドと、地元化している西サイドでは、線路を真中にして目的別に住分けされているのが面白い。
「シンガポールスリング」で始めた今夜の夕食。アメブロからのお中元?と思っている。人の歩いている姿がチラホラなのは不景気かもしれない。東京と言う町を人も居ないのに、縦に造り過ぎている功罪かも。この電車の操車場が見違える様になったのは、NY、香港やシンガポールを参考にしているのかもしれないが、人を増やすことも同時に進めてほしい。窓の外はいい眺め・・・・。
アールデコっぽいランプと、コロニースタイルの風情は何となくペニンシュラーの趣き。私の好きな趣味の範囲だが、人が少ないと活きた絵にはなってこない。アフタヌーンティーを楽しむにはお洒落な場であるのだが。
「鶏皮のパリパリサラダ」カリッと言うか、パリッと言うか、サラダのシャキッと感と同調して美味しい事は納得。夏の暑いさ中にはぴったり。音がサラダを美味しくしてくれる。
「ポピア」シンガポール生春巻は小麦粉の皮で作られている。たっぷりの野菜を巻いて食べるが、ベトナムの生春巻とは一風変わった食感。それは米粉との違い以外にもありそう。
「海南チキンライス」とは言う物の、日本でいうチキンライスとは全く異質のもの。中華料理でいう「白切鶏」だ。これの蒸したものと、揚げたものを好みでのソースをかけて食べるもの。成程との美味さは感じるが、タイ米が日本のコメの様に炊いたように感じる。むしろ、蒸し上げた方が、現地の美味しさが再現されるのではないだろうか。
三種類のソースは手前から「ネギとショウガのソース」「チリソース」「ダークソーヤソース」好みでかけて食べるが、香港辺りの「的士飯」とそっくり。唯一の違いは米の質を表す、炊き方というか蒸し方だ。
日本で食べるタイ米はどうして美味しくないのだろうか。これが不思議でならない・・・・タイで食べる物は、不味いと感じないが、日本では中々納得の味でありえない。邱永漢氏も書の中でその不味さを嘆いているが、日本の食糧庁の謀略で、いい長粒米を入れさせていないと言っている。そうかもしれないが、日本最初のグルメ評論家邱氏の言うことには重みがある。
嘘か本当かは分からないが、タイ米が美味しくないと言うより、美味しく作れていない、と言う方に私の考えは偏るが・・・・作る人間が、チェーンといえども、その発信国なりの文化や風習をも理解した上で、真摯に再現して作ってほしいと願う。
美味しい物を作ると言う事は、調味料で口に優しい物を作ると言うことではなく、その料理素材をどう単純表現できるかではないだろうか。その上で、最終的に多少の味付けを調味料で施す。これが東南アジアの料理だと思うのだが。
シンガポール料理の根は、誰でも知っているように中国料理にそのルーツを持っている。ベーシックなレシピに、現地の素材を融合させてその地の料理となっている。であるからタイ、マレーシア、ベトナム等の各国が多少の素材や調味料の違いで、その国の色々を表す、「同根異種」を楽しめる東南アジアという寸法だ。
世界を食べた・・・・邱永漢氏
最近はミシュランの選定に異議があるようだ。