この時期になると「占う」も増えてきます。
昨日は、半年はタイミングが伸びたであろう方を鑑定でした。
「どんなことでも意味がある」
なんて、良く言ったのもですが。
私は時々、意味の無いことだってある、と思っています。
「無い」こと、それに意味があるという事です。
今回の鑑定の方は「観てもらいたいです」と発し、半年。
ようやく日程を決め、いざ、となったとの日に訳あって再度日程検討へ。
”様子を見なさい”と、なんとなぐるぐる聞こえてたので焦らあず時を待ちの再日程。
満月過ぎて、そろそろ「お願いいたします」メッセ来るかなあ~となんとなく。
ここで、観ないとのタイミングかなとなんとなく。
「時」が、あります。
その人が、その情報を、必要とするタイミング。
そこで知る必要性、今後がどう変化するかの入り口に立っていることが多い「時」。
別にそれがずれたとしても、観て、言葉を聞くことは出来ます。
いうなれば、いつでも出来る。
「いつでも」
いつでも?
確かに、明日知ろうが、1年後に知ろうが、言葉を聞くという意味では同じかもしれません。
ただ、「時」を、タイミングをどんぴしゃで聞いた時、知った後の世界は、視野は大きく変わる。
現世は妄想。とするならば、一瞬の瞬きで世界が変わる。
目の前にしていた人でさえ、まるで別人のように見える。
それは、思考の変革、人生の変革。
なんだか大きく変わろうとしているな、と感じた時。
いつもとちょっと違う行動をとってみる、いつもなら躊躇するところを一歩前のめりしてみる。
或いは。
いつも前のめり焦るところを一歩引いてみてみる。とかね。
人生、魂の「癖」を軌道修正するのはなかなか大変かも。
そこで、「タイミング」なんですね。
タイミングをのがさず、「受け入れる」とするする~っと軽く進む。とかね。
そして。
帰宅するとあれれのメッセージのオンパレード。
発した言葉たちがそのまま私に向って聞こえるオンパレード。
そうか、私か!と、ちょっと笑った帰宅の夜。
何事も。
意味がある。