❤️スゴい須永の今日から美婆トレ❤️
2025/06/11
💠会津人💠その2
感謝しています❣️
今日もご訪問ありがとうございます❣️
表題の『会津人』という単語は、戊辰戦争の後からしばらく日本の中で一種の差別用語として使われていた時間があったと思われる。
出身地を表す単語ではなく。
しばらく、というのは第二次世界大戦後、昭和の半ばまでをふくむ、けっこう長い間のように思われる。
それは最近読んだ二冊の本で知ったこと。
一冊目は戦前の話。
進学のために上京した学生が下宿を探す場面で家主から『あなたは会津人ですね』と言われ、それを理由に門前払いを受けた話だった。
つまり家主はこう言ったわけだ。
『うちには(お上に逆らうような)会津人に貸す部屋はない』と。
二冊目もまた進学のために上京した学生が主人公だった。
今回の主人公が『会津人』という単語を知るのは彼がバイト先として選んだ土木作業の現場。
不慣れな彼に何くれとなく声をかけてくれる男性がいて、その男性から『現場監督とは出身地の話はするなよ』と言われる場面があった。
その理由が『現場監督は会津人だから』と言われてもその意味をわからずにいる主人公に男性はこう解説してくれる。
『会津人』ということは賊軍、つまりお上に逆らう側の人間だってこと、つまり後ろ指差される人間ってことさ。現場監督自身が戊辰戦争に関わっていようとなかろうと、東京じゃ、未だに会津出身は肩身が狭いってことだよ。
この会話は、戦後の東京、東京オリンピックの話なんかが出てくるあたりのことだから私自身もすでに生まれている時代のこと。
ヒョエ〜、戊辰戦争?会津人?
私が何もわらずオムツしていた頃、ママゴトするようになった時は、おもちゃの茶碗によそった庭の土を本気で食べて母親に叱られたりしていた頃、大人たちの中には数十年以上前の戊辰戦争を引きずりながら生きている人たちがいたわけだ。
令和の今『会津人』はどうなったのだろう。
私には会津出身の知り合いもいるし、先祖の時代から会津に暮らしている知り合いもいる。
彼らと戊辰戦争の話をしたことはないし、する縁もなかった。これからもないと思う。
物事を官軍賊軍、勝敗、優劣、YESかNOなど二つに対立させる考え方はわかりやすいかもしれないが、二者択一の考え方だけで物事を判断できるのだろうかと思う。
『自分を愛して他人を愛します』
このフレーズから始まる斎藤一人さんの〈白光の誓い〉のもと、誰もが幸せであってほしいと思った。
ありがとうございました❣️
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今日もワクワク絶好調❣️
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