2024/06/04 酒のみ その4 | 今年還暦、スゴい須永の今日から美婆トレ

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人生120歳の時代、どこまで豊かに美しく生きていけるか、日々感じ、学んだことをお伝えすることでシェアし、ともに幸せな道を進みたいと思います。

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2024/06/04


💠酒のみ💠その4

感謝しています❣️

今日もご訪問ありがとうございます❣️

酒のみは酔っぱらうことはない。

自分の体を酒で満たして酒と一体となる快感を味わいながら、のむほどに冴える感覚で会話をつないで行く。

主人公がある酒席で金沢の町を『いい町』と語るところがある。
相手の金沢人が『どういう所が宜しいので、』と聞くのに彼はこう答えている。
『何もないからですよ。』

何もない、というのはもちろん砂漠や荒野のように何もないことではないし、名所旧跡がないとか、見るべき価値のあるものが何もないこととは真逆であることを主人公は説明する。

『ここがこうなっていればと思うところがどこにもないでしょう。この辺に川が流れていればということになる前にもうそこに川が流れていて築地塀の上から植え木が覗いているのがそこがそうなっている方がいいことを逆に教えてくれる。…』

このことは1から6のすべての酒席にもあてはまると思った。

どの酒席にも酒をのむために必要なものだけがそろっていた。不要なものは一切ない、煩いのない世界。

酒、料理、それを盛る器。給仕のタイミング。
床の間の掛け軸、黒漆の台座に置かれた焼き物。
庭木とその葉ずれのの音。風の動き。
移り行く闇の色。などなど。

だから、そこにあるのは風流とか風雅と呼ばれるもののみ。

その風流風雅とは、雑なものをを取り去った状態。

酒であり料理であり、器であり設え(しつらえ)であり、どれもが部屋の一部になっているから目立たないし何も構う必要もなく、今からそこには手間をかけるのは余計なことでしかない。

すべてが心置きなく、煩いなく酒をのむことのために調っている。

酒のみはひたすらに酒をのむ。

いつまでも飲んでいられるその酒席では、何を言っても構わないくつろぎがあると思った。

それはよく言われる、信頼とか安心とは少しちがうと思った。それらは共通の目的に向かう人間同士に必要なもので、酒のみには必要ない気がする。

ここまで書いて、先週までの酔っぱらいを引きずるのは残念だが、やはり泣かされた子どもたちのためにあえて書く。

酒のみの酒席、そこにクダを撒く者はいない。がなりたて、怒鳴りまくり、自分が泣いたり、周りを泣かせたりするような、そういう迷惑な生き物の影もない。眠りほうけて駅を乗り越し家族に迎えをわずらわせることもない。もちろん彼らは誰かを傷つけたり邪魔したりしない。

そんな対象が何もないから、関わりようもない。

静かに酒をのむだけの人間、酒をのむことをこよなく愛する人間がいるだけ。

思い出したような会話が時折聞かれたり。

体力もあるのだろう。

『この調子で飲んでいると本当にいつまでも続けられるんですよ。』

という発言もあった。

彼らは日付が変わっても顔色ひとつ変えずにのんでいるようだ。

読み手は読むほどに内容と文体に酔わされるものがある。と言えば聞こえがいいが、実際は重厚な文章について行き難いのを分かりつつ、それでも読み進みたくて文字をたどるしかない自分を叱咤激励するのみ。

この酒のみたちは、どこまで行っても責任能力はバッチリ備わっているし、もしかしたらシラフの時より冴えているかもしれない。

眠くなってもよさそうなのに、頭は冴えた、というフレーズもあった。

酔っぱらいとはどれだけ世界がちがうのか、別世界という単語しか思いつかなかった。

私には一生縁のないと思われる酒のみの世界。
今日も世の中からは見えないところで酒のみの世界を楽しむ酒のみがいるかもしれない。

“至福の時間”を、心行くまで楽しんでほしい。

ありがとうございました❣️

今日の美婆トレ❤️酒のみの世界、無限

今日もワクワク絶好調❣️

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