2024/05/12 神様の気持ち その4時 | 今年還暦、スゴい須永の今日から美婆トレ

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人生120歳の時代、どこまで豊かに美しく生きていけるか、日々感じ、学んだことをお伝えすることでシェアし、ともに幸せな道を進みたいと思います。

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 2024/05/12

💠神様の気持ち💠その4

感謝しています❣️

今日もご訪問ありがとうございます❣️

ついてない時こそ『ついてる』と言えるかどうか、ありがとうって思えない時こそ『ありがとう』って言えるかどうか、それができた時、その人は魂の階段を一つ昇ることができる、幸せになれるのかもしれない、と思うことがありました。

娘さんの急逝という現実を受け止められずに苦しんでいるお母様に向かって、習いたての気功、◯◯開運法を遠隔で送らせていただいた時のことです。

送り終わって出て来た神言葉は十回のうち『ついてる』が三回、『ありがとう』がニ回でした。

神様は今こそ『ついてる』んだよ、『ありがとう』を言いな、そんなメッセージをくださったと思いました。

最愛の娘さんを失くした自分がどうして『ついてる』のか、誰に『ありがとう』を言えというのか、お母様にしてみたら理不尽以外の何ものでもない神様からのメッセージでした。

娘を死なせてしまった自分には『ついてる』資格もなければ、このまま生きて幸せになる資格もない、そう思われていたかもしれません。

でも。

神様は、今、自分の目の前にいる人を幸せにするためには何だってする、手段を選ばずあるもの使ってやる、『できない』とは言わせない『やるしかない』ところに追い詰めていかれるのだなあ、と思いました。

『ついてる』
『ありがとう』

くり返し降りた神言葉はそれだけでした。

それをどう受け止めるかはそれぞれの自由です。

スルーするのも、もちろんよし。

これはいったい何なのか、混乱しながらも文字面をチラチラながめ、意に反していてもつぶやいてみる、書いてみる、それを神様はご覧になっている、私はそう思いました。

そうやって、悲しみや苦しみのどん底にあっても『ついてる』『ありがとう』とつぶやく時、その人は自分の幸せに向かって一歩踏み出すのだと思いました。

親御さんにとって子どもは何よりの幸せ、子どもを失った状態でなんの幸せか、そう思うのが普通でしょう。
でも神様は子どもが無いなら、無いままの今、そのままで幸せになることを願うというのか、追い込むというのか、強いるというのか、そんな厳しさを思いました。

自分の幸せは自分一人であっても叶えるもの、言い訳は要らない、それは今、この時、お前が生きている今なんだよ。

私はどこにでもいる凡人なので、見えないものが見えたり、聞こえないものが聞こえたり、そんなことは一つもありません。

でも、神言葉を引くたび、神様の御心を考えます。

親心、母心などと言いますが、神様の御心ほどに目の前の人の幸せを願うものはないのではないかな、と思いました。

誰かとの関係の中で成り立つ幸せではなく、その人一人を一人のままでもって幸せにさせずにおかないもの、それが神心かもしれないと思いました。

ありがとうございました❣️

今日の美婆トレ❤️目の前の人の幸せを願う

今日もワクワク絶好調❣️

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