❤️スゴい須永の今日から美婆トレ❤️
2024/04/22
💠働き方💠その3
感謝しています❣️
今日もご訪問ありがとうございます❣️
令和の今から数えて三十年以上前、後に私が赴任することになる県北の学校ではスポーツ少年団の活動が盛んだった。
低学年は戦力外であっても、三年生以上になると、ほとんどの児童は男女ともにスポーツ少年団の活動に参加し、親たちの間にも、さまざまな役割が当番制で割り当てられ運営されていた。
全国大会までつながらなくても、県大会で優勝などしようものなら末代までの語り草、みたいな感じで、親も子もエネルギーを傾けていた。
指導者は誰か。
三十年以上前の当時、教員の出る幕はほとんどなかったと聞く。
放課後、三時半ともなれば、学校周辺の郵便局、役場、自営業の人たちが学校にやって来ては、昔取った杵柄、とばかり、かなりに本格的な指導を展開していた。
そんな中から国体選手も出たりしていた。
そんなふうに、そんなように地域に支えられていたスポーツ少年団の活動が、いつの間にか教員主導になっていた。
なぜ、それまで出勤簿でもあるかのように日参していた地域の人たちが学校に来なくなったのか、正直、そんな環境に6年いたがわからなかった。
ただ、かつてスポ少の指導に当たっていた人と話す機会があった時、その人はこんなことを話してくれた。
昔は三時半までは郵便屋さんの仕事をして、それが終わったら学校に行っていたんですよ。
毎日がその流れでした。
その流れは、民営化、という言葉の聞かれる頃から滞ることになり、結局、彼は学校に来ることができなくなった、三時半になったら学校に行ってスポ少の指導をするような働き方ができなくなった、というのだった。
人にもよるとは思うが、彼にとって、また、役場職員や、地域の自営業の方たちにとっても、三時半になったら学校に行って、子どもたちの面倒をみる、というのは楽しみだったのではないか。
楽しみ、というのは失礼かもしれない。
その人たちは、楽しみだけではない、子どもたちを育てる、そんな思いもあって学校に来てくれていたように思う。
ある意味、スポ少の活動は、そこに参加する大人にとっても子どもにとっても、やりがいのある楽しい時間だった気がする。
学校の時間割の中では学べないたくさんのことを学べるし、指導に来る大人たちにとって、そんな時間を午後に持てるというのは稼ぐための仕事からは味わうことのできない何かがあった、と思われる。
じゃあ、いったい、郵便局の仕事は誰がやってるんだ、役場の仕事は誰がやってるんだ、店番は?という疑問は当然出てくる。
そこは残っている人間でカバーできるほどの職場であり仕事だったのだろう。
機械化が進み、非対面の場面の増えている今、なぜ、午後の三時半から大人たちが地域の子どもたちと向き合うことができないのか。
スポーツ少年団の復活を声高に叫ぶつもりはない。
ないが、子どもには大人が必要な場面があること、大人にも子どもにも楽しみが必要なこと、何より、非対面では人間と人間が大人子どもに関係なく互いに育つことのできないことがあると思う時、毎日でなくてもいい、大人が子どもと向き合えるような時間を取れる働き方ができないものかなーと思う。
スポ少の活動に両手を挙げて賛成する人ばかりではなかったと思う。
だけど、地域のスポ少の活動を地域の大人たちが支えていた時代の働き方は、大人にとっても子どもにとっても大きな意味のあるものだったと思う。
ありがとうございました❣️
今日の美婆トレ❤️楽しい時間を作ること
今日もワクワク絶好調❣️
💠あなたに後押し💠須永商会💠