❤️スゴい須永の今日から美婆トレ❤️
2023/12/31
💠いい気分でいること💠
感謝しています❣️
今日もご訪問ありがとうございます❣️
何かをやめて何かを始める年だった今年、令和5年。
私の心がけたことは、mustをやめてwillを大事にすることだった。
カッコつけて英語を使ったけど、ネバならないことではなく、やりたいことを大事にすることだった。
正しいことより楽しいことを優先する。
たとえば、掃除よりも食事を優先する。
食事を楽しむ自分を幸せと思い、掃除をしない自分を責めない。
そうして、いつも自分を幸せな状態にしておこうとした。
心の明かりが消えそうになったり消えることもあった。
その時は、自分を素直な人間じゃないと思いながらも、ここでこの悲しみ苦しみに負けない、流されない、目の前の人の不幸に感染しない、そう思いながらまずは微笑むことを心がけた。
自分の明かりを大きくして、関わる人たちの心に明かりが灯るよう、大きくなるよう、そう思って暮らしてきた。
そして、アレは失敗だった、とほんの一瞬前であっても過ぎた自分への後悔を思う時は、あの時はアレが最善最高だったのだ、いつも自分は最善、最高を思い願い行動するしたはず、過去には戻れない、過去の自分にかける言葉はがんばったね、えらかったねの一言。
どうしても自分のがんばりを認めることができないのなら。
認めることのできない、そこがオマエのかわいいところ、とつぶやきその件について終わりにする。
今年はじめの冬のことはほとんど記憶になく、レミオロメンの『3月9日』を歌い始めた3月は歌詞の通り、冬から春への季節の移り変わりを感じながら暮らしていた。
その後の春の記憶もほとんどなく、暑くて長い夏のことだけが残っている。
そして実りの秋は『来年の11月になったらまた来ますね』と言った焼き芋屋さんの開店で確認しただけ、目に染みる盛岡の紅葉、見た記憶がない。
そして再び冬。年末。
冬も春も秋も飛ぶように過ぎ去り、暑くて長い夏を日々しのいで乗り越えたことだけが、思い出される。
その瞬時に通り過ぎた時間の中、どの瞬間も自分の幸せ、周りの幸せを考え、言葉を紡ぎ暮らそうとしていた。
確かなことは、ねばならないからやるのではなく、やりたいかやりたくないか、楽しいか楽しくないか、自分に聞きながら判断、行動しようと、どの時も生きようとしていたこと。
そのことが自分を大切にすること、幸せになることと思いながら。
私の体内の免疫細胞たちは未だ暴走を止めることなく唾液腺を攻撃しているが、心の免疫細胞たちは、わずかでも心のほころびを見つけようものなら、瞬時にそのほころびを修繕してしまう。
いつも幸せ、それが今年令和5年、癸卯の私だった。
ありがとうございました❣️
今日の美婆トレ❤️さらなる幸せ者になる
今日もワクワク絶好調❣️
💠あなたに後押し💠須永商会💠