2023/06/04 魚になる | 今年還暦、スゴい須永の今日から美婆トレ

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2023/06/04

💠魚になる💠

感謝しています❣️

今日もご訪問ありがとうございます❣️

ハマる、と言う言葉がある。

最近では、推し、というものもある。

ファンになる。

やめられない。

気になる、気になってしかたがない。

マイブーム、なんてのも同じ使われ方をするかな。

好き、という言葉では表せないこだわりがふくまれているような。

今回、表題の、魚になる、という表現を聞き、場面により、とても的を得る表現だと思った。

対象は昭和の頃に流行った三善英史さんの『雨』。

私も時々頭の中でリフレインしていることのある曲だった。

この曲を紹介された方は音楽を生業とされている方で、音楽的なコメントを話されながら、この『雨』が心に残る様子を、魚が釣り針に引っかかってしまった、みたいなことですかねぇ、と言われていた。

引っかかるつもりは本当はまったくなかったはずだった。

だけど、そのエサ、それが疑似餌だったとしてもあまりにうまそう、ピチピチして生き餌そのものに見えてしまった。

広い海の中、流れのある川の中、いくらでもスルーできたのに、つい、喰いついてしまった。

即、放すこともできなくはなかったが、飲み込んでしまった。

気づいた時には遅かった。

多少己の至らなさを責めながらも、仕方ねぇよなぁ、こんなエサぶら下げられた日にゃあ喰いつかねぇわけにはいくめぇ、みたいな、あきらめに似た感情を感じる表現だった。

場面によっては、うなるほどに印象的な表現だと思った。

つまり、いかにも名曲、肝入り、そんな気配は全くないのに、なぜかみんながトリコになってしまう、そんな時に使われる表現が、魚になる、なってしまった、という言い方なのだ。

誘蛾灯に集まる夏の虫たちを思い出し、水の中でゆらゆら揺れるたった一本の釣り針の先のエサに群がってしまった魚たちを思うと、かわいらしさと可笑しみで、うなりながらも笑えて、そして深く納得する表現だった。

わかる気がした。
惹きつけられているのは確かなのに、ワクワクよりは、しかたないよねー、つかまっちまった、もう逃げられねぇ、そんな感じがよく出ている。

えーと、なんか書くほどに対象が実はさほどでもないことを証明するみたいで、いくぶん気が引ける。
三善さん、失礼があったらごめんなさいね。
実力が大ヒットにつながったことに変わりはない。

見た目十人並みなのに、話してみると引き込まれてしまった、そんな感じだろうか。

もう一言いえば、疑似餌につられて釣り針に引っかかっても、たまされた感は無し。
だってそのエサ、噛めば噛むほどおいしいんだもん。

まちがって、その気もないのに引っかかっちまったけど、引っかかってよかったじゃねぇか、そんな満足感まで感じるこの表現。

魚になる、使ってみたい表現の一つになった。

ありがとうございました❣️

今日の美婆トレ❤️ 引っかかる

今日もワクワク絶好調❣️

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