2019/08/22 夢のある話、ない話 | 今年還暦、スゴい須永の今日から美婆トレ

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人生120歳の時代、どこまで豊かに美しく生きていけるか、日々感じ、学んだことをお伝えすることでシェアし、ともに幸せな道を進みたいと思います。

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2019/08/22

💠夢のある話、ない話💠

感謝しています❣️

今日もご訪問ありがとうございます❣️

選挙に立つ、ということはなかったけれも、自分の父親には夢があった。

夢というより、それは志というものだったかもしれない。

それは一言で言えば『国家の安泰と世界の平和』みたいなこと。

みたいなこと、なんて言ったら怒られるかもしれないな。

では、家庭の安泰と平和はどうだったのかというと、娘としては安泰も平和も表面だけだった感がある。

両親のない今、我が家のことを述べても仕方ない。

自分には、家建てる以外、夢というものはなかったし、今もない。

父親には死ぬまで夢があって、そのために自分のできることを一つ一つ形にしていったように思われるし、不動産業という本業以上に夢実現のためにお金と時間とエネルギーをつぎ込んでいたと思われる。

一方、そんな父親の知り合い、元警察官。

現職の時代から、職務上必要な柔道、剣道はもちろん、様々なスポーツに堪能だったけど、退職後も子どもの頃から続けてきたスキーに加えて一昔前なら、還暦以上は保険がかけられないから無理、と言われることもあったらしいパラグライダーにも挑戦していた。

84歳でもスキーをし、スキー旅行ではカナダに、パラグライダー旅行では台湾に行ったりしていた。

自宅では習字教室を奥様と二人で経営し、90少し前あたりからは、生徒さんたちを一人一人独立させていた。

こちらは『国家の安泰と世界の平和』のようなものはないけど、自分の中に掲げる夢があって一つ一つ形にしていった人生だった。

父親がいつも胸に抱いていた夢というよりは志というもの、そのことの尊さを否定はしないが、家族のことはどう位置付いていたのか疑問は残る。

一方の知り合いについては、他人のことだからいいところしか見えないのかもしれないが、国だの世界だのと振り回さなくても、自分一人と家族の居場所の中で夢を描き全うした感がある。

どちらも予科練習生だった。

だから何、ということは何一つ浮かばないけれど、二人とも自分の中に夢や志を掲げ、課題を見つけ出し課題を探し出し、一つ一つ成し遂げた人生だったな、と思う時、夢も志もない、または見えない自分が見えてくる。

夢も志もなくても、それでも今日も働いてきた。働いて得たもので暮らしている。

夢も志もなくても、命大切にして死ぬ日までできることやろう、そう思った。

ありがとうございました❣️

今日の美婆トレ❤️目の前のことに全力集中

今日もワクワク絶好調❣️

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