「ラストバリア」
あるところに、悟りをひらけるなら死んでもいい、と思っている男がいた。十数年、あらゆるセミナー、セッション、セラピーを受け、数えきれないほどの覚醒者と称する人間に会って来たのだ。だが、そのほとんどは、多少の超越的な経験を得たことがあったとしても、結局それをだしにして、この世で金儲けするか、あるいはせいぜい生活の糧を得ることを目的としているに過ぎないと思われた。
しかしやがて男は、これぞ真の覚醒者ともいうべきある和尚をついに見つけ出した。男は伝手をたより、何とかその和尚との面会の場を設けると、開口一番こう切り出した。
「この愚生に悟りを授けて下さるなら、死んでも本望でございます」
「死んで本望・・・。そなたにとって悟りは生よりも重いと」
「さようでございます」
「二言はないな」
「もはや生に未練はございません。これまで数えきれぬほどの師と称される人々に会ってきました。しかし、何の変容も覚醒も得られなかったのでございます。もう私には、あなた様しかおりません。そして、悟りをひらけぬならこの生には意味がありません」
「わかった。そなたの希望をかなえよう」
「本当でございますか!」
「ただし・・・。死を覚悟しているそなた。この坊主が申すことは何でも聞き入れるな?」
「もちろんでございます」
「よろしい。・・・では、まずはこれを行うのだ。そなたが、これまでに出会った師と称される方々。そのすべての人にもう一度お会いすること。そして、心から頭を下げ、感謝の意を述べるのじゃ。あなた様の教えは私を変えました。あなた様からいただいた言葉が、これからの人生の大いなる指針となることは間違いありません。今、私の心にあるのはあなた様への感謝のみでございます・・・、とな」
その言葉を聞いた男は心の中で、こう独りごちた。
「なんてこった!そんなことをするぐらいならもう・・・、死んだ方がましだ!!」
「自己放棄」
サンフランシスコ在住のその日本人女性ティーチャーは、そこそこの美貌とまあまあのスタイルで現地の生徒たち、特に男性に人気があった。日本においても逆輸入のような形で人気が出始めており、日本語での書籍も数冊出版されていた。まあまあのスタイルを生かして、女性向けファッション誌で見られるような自身の写真を挿入したポエム集まである。
彼女は、延々と続く生の苦しみの中、突如として楽になったという、欧米の覚醒者にありがちなストーリーの持ち主であったが、難点はその主張が他人には伝わりにくいということだった。要は、何を聞かれても「あなたを捨てなさい」なのだ。
「ポイントは、あなたを捨てることなの。いま、そこで座って私の話を聞いている、そうまさにそのあなたよ。捨て去ることさえできれば、それはマボロシだった、ということがわかるわ。何を言っているかわからない?いいえ、心の底では本当はわかっているはず。私があれこれと説明しなくてもね」
セミナーを終えて、自宅に戻ったそのティーチャーは、豪奢なソファに身を横たえ、手にした一枚の写真をひらひらさせながら首を傾げていた。
「簡単なことなんだけどな。皆んな自分を捨てて、早くこちらに来ればいいのに・・・」
彼女が手にしていた写真。それは、彼女がそこそこの美貌になる前、そう、5年前、整形する前に撮影した、かつての「自分」だった。