神様や仏様の「声」を聞きたい

それが本当に正しく重要なのか?

霊感や霊能も時には必要かもしれないが、何より我々に必要なのは「慎み敬う」ことではないか

祈りとは、たとえ「一つ覚え」と言われようが一筋で一念がなければ本当の祈りとは言えない

そこに声など聞く必要はない

それこそ、追い求める暇があるなら必死に祈ることが大切なのではないか

いつの日か…「必ず」天災が襲ってくるだろう

一日一日に感謝し、大難は小難にと祈る心が災難から身を守るのだと思う

日々を当たり前に思うことが何より愚かなのだ

好きな服を着て、好きな物を食べ、好きな考えで行動し、好きな発言をする

これだけ自由な人間に神や仏が何を言うのか

自惚れは必ず「命取り」になることを知るべきである

先人の考えや行動が「時代錯誤」と馬鹿にするのは簡単だが、その上で今があることを忘れてはならない

スピリチュアルや霊感やらも大いに結構

だが、伝え守られて来たことを第一に行ってからではないか

自らを顧みる心を養うからこそ、神仏は「物言わず」とも目の前に示して下さるのだ

誰しも人生の中には失敗や後悔はある

だからこそ学んで行くもの

苦しみは神仏が与えたもうた最大の教えと知ることではないか

苦しい時ほど「慎み敬う」ことを忘れず真っ直ぐに進むことが大難を小難へと向かわすのだ