く
大半の人は自分でどうにもならない局面に至ると神様仏様に「縋る思い」で手を合わせる

人ならば自然なことなのだろう

だが、神様仏様は決して「ご利益製造機」ではない

どんな局面であろうと自身が正しい道を進んでいれば必然的にご利益すなわち「霊験」を頂くことができる

その反面、自分よがりな行いが目立つものは、いくら手を擦り合わせても霊験は頂けるものではない

この二者の違いが、「委ねきる」か「縋り付く」かである

委ねきるとは文字通り、すべてを神様仏様にお任せすること


それこそ「好きにして下さい」



とにかく自分ができることは一生懸命にやるのであとは宜しくお願いします!


この気持ちだけである

縋り付くものは、この部分が無い


助けて下さい!叶えて下さい!ばかりである


そうなると、それこそ「拝んで病気が治れば医者はいらん」である



ここで一つ、私の霊験譚を上げてみる

つい最近の話しである

数日前から右奥歯の歯茎を傷つけ化膿したようで痛みがあった

ある朝、朝食を食べようにも歯茎が腫れ痛みがあり上手く食事ができなくなっていた

これは困ったな、歯医者に行くしかないなと思いながら痛みのない左でゆっくり噛みながら食べていると、ふと頭に稲荷山にある「春繁さん」のお塚が浮かんだ

春繁さんとは、稲荷山のミツルギさん(長者社)から一の峯の末廣さんに向かう途中にあるお塚である

この春繁さん…
今まで素通りが多くあまり気に留めることはなかった

しかし、最近は講員さんを連れお山をするためご挨拶をするようにしている

何を頼むわけでもなくご挨拶で手を合わせるだけだ

さて、この春繁さん

実は「歯の神様」とのこと

だからと言って春繁さんに助けを求めたわけではない

なぜか頭にフッと映像が出ただけである

そして、次の瞬間から今まで痛みがあった歯茎から痛みが消えたのである

嘘のような本当の話し

自分でも「まさか〜」となるほどの不思議な現象である


数日経ったが全く痛みもなく腫れもないのである



後日お礼参りはもちろんのことだが、春繁さんは「大の酒好き」と言うことも分かった

お礼はたっぷりのお酒だった

この霊験譚から言えることは、神様に縋り付くから助けて下さるのではないと言うことでり、何より「神様が自然と動いて下さった」点である



私はただ黙々と「お山」をしながら周りの縁ある人たちの為に祈り、神様に「覚えて頂く」こととであると思っている


ああして欲しいこうして欲しいではなく、こうしてお山に来れることに感謝する


信仰とはこうした、「コツコツとした積み重ね」からなのだ

神様は全て見ておられる

お稲荷さんだろうと弁天さんだろうと同じである

先ずは日々の積み重ねからである

たとえ、おすがりから始めたとしても、積み重ねがやがて「委ねきる」信仰へと変わってくるのだ


神様が自然と動いて下さる関係を作ることだ


そこにこそ、本来の妙なる霊験がもたらされるのである