稲荷山とは如何なる霊験を受けることが出来るのか

過去の「オダイさん」が100日におよぶ断食行をしながら、お山をしたと言う

ここまでストイックに行をするのは並大抵の覚悟がなければ出来ない

本当に、これほどの「荒行」が無事に満行できるのか?



いや、きっと事実なんだろう

何故に、そう思えるのか…

自身の行を通してそれを実感することがあるからだ

私はお山する時は行が終わるまで何も口にしない

水も口にすることがない

たとえ、お山に入る前に口にしてもすぐに「出てしまう」からだ

いつもお山に入る前の身体は「空っぽ」にされる

そんな状態でこの猛暑の中、お山するには覚悟はいる

でも、「神さんがそうされるなら仕方ない」

お山に入るとは神様に自身を「委ねる」と言うこと

さすがにこの暑さ…四ツ辻に至るころには汗が止まらない状態で軽い熱中症になる

自身の身体は自身が一番に分かる

ある程度の「タイムリミット」を決めておかなければ、お山の方に迷惑をかけてしまう

しかし、いざ四ツ辻から「本格的」にお山に入ると、今までの辛さが消えている

止まらない汗が少しずつ引いて行く

お山は木々があるとは言え、湿度も高く亜熱帯に近いため普通は汗が止まらない

早朝とは言えお山は暑い

行き交う観光客は汗を流しながら周っている

こちらは「空きっ腹」に水も絶ってのお山

だが何故か身体は辛くない

それどころか「心地よさ」を感じる

こうなると、「あゝお稲荷さんが支えてくれてる」と言う気持ちで一杯になる

こうした体験を繰り返すと、過去のオダイさんの荒行も確かに可能だったのだと納得する

こうした霊験譚は神様と自身との向き合い方で決まって来る

信仰は「追う」ものではなく「もたらされる」ものと言うのが、ここなのです

こちらが「本気」なら神様も「本気」で来られます

だからこそ辛いこともありながらも途中から助けて下さる

行を通して「生き方」を全て教えて下さいます

初めから全てを委ね一筋に生きれば辛い時ほど必ず「お助け」を受けることができるのです

人生には幾度も辛い時があります

しかし、神様は委ねるものを見捨てることなく「日の守り夜の守り」と守り下さるのです

それを実感するのが「稲荷山」なのです