稲荷信仰の中では「常に白狐と共にいる」とする考えがある


過去に、私は車で大きな事故を起こしたことがある



夜、帰宅途中にふと考えごとをしていた


その時、前方の車が急ブレーキを踏み、間に合わず衝突してしまったのだ




車は見事に前面が「大破」してしまった



スピードもかなり出ていたため大破は逃れられなかったのだが、不思議と擦り傷一つなく、かなりの衝撃にも関わらず打ち身すら無かった



突っ込んで行く瞬間、何故か自分は助かると思った



前面大破、しかし何かが「これ以上来るな」とするかのように運転席周りの破損は不思議と無かった


かなりの衝突にも関わらず、相手の運転手も軽い打ち身のみだった



ともに、車だけが破損したに過ぎなかった




それだけではない

事故の瞬間、後方に「パトカー」がいたのだ

しかも、パトカーには3人もの警官がいた

すぐさま、警察が事故の処理に取りかかり、車の移動や現場検証も「するする」と進み、レッカー車をただ待つのみ


相手は衝突された側にも関わらず、こちらの身体を心配して下さる…


警察もこれだけの衝突で無傷だったことには驚いていた

一応病院へ行くようすすめられたが行くことは無かった



両者怪我もなく物損のみ、後は保険対応だけ

何ら揉めることもなく終わったのだ


車はもちろん…廃車となったが



こうした霊験譚は稲荷信仰にはよくある話だろう

「白狐さんが守って下さった」

信仰をしていれば、こう考えるのは当然なのだが、それだけでは決め付けれない

だが、事故後に帰宅し「白狐さんの姿」を見たらそう考えざるを得ないのではないだろうか

大難を小難に 小難は無難に

これは、稲荷信仰だけではない

信仰と言うものは、日々大いなる者への畏敬の念と感謝の心を持つことで、信仰する意義があり妙なる霊験を受けることができるのではないか

信仰と霊験は重なり合うもの

信仰なくして霊験はなく

霊験なくして神は語れないのです