玉学のアキちゃん | 活動弁士は七変化

活動弁士は七変化

映画はかつて無声で、生の語りで説明者がいたのです!

先日、漸く休みになった日に、
神保町シアターへ赴くつもりで家を出た。

年が明けてから訃報が届き、
年末に亡くなった方のことで、
ずっと身も心も気怠く重く…
この日でないと会期中に行けなかったのに、
どうしても映画を観る気持ちになれなかった。

進路を変更して、
昨年秋に肋骨を骨折したと聞いていた、
中学時代の演劇部顧問の先生宅へ。

御年92歳のY先生の家は、
玉川学園前駅から徒歩10分。
お母様が亡くなられてからお姉様が越してきて、
一昨年そのお姉様を看取ってからは、
一軒家でお一人暮らしをされている。

90歳越えてからの骨折は重症であろうと、
心配をしていたのであったが…
師走に入ってから全快したのだと、
元気なお姿を見てホッとした。



この絵は先生が描いたもの。
お宅には沢山飾られている。

最近読んだ本の話しとか、
政治の話しとか、
近況報告とか…
お茶とお菓子でゆるゆる時が過ぎる。

先生は86歳から四年間、
お姉様の介護をされていた。

お姉様は90歳を迎えようとする頃、
庭先で転倒して大腿骨を骨折。
あれよあれよと言う間に、
寝たきりになってしまった。

そこから所謂老々介護に。
ケアマネさんからは、
『どこのお宅よりも立派な介護ぶり!』
と、絶賛されたそうだが、
先生いわく
『仕事も順調で生活にも何不自由なく、
ずっと人生の勝ち組だった私が、
初めて体験した負けの時期だったわ!
と。

人に頭を下げて右往左往、
床を這いずるように日々介護をしたと…
『そのお陰で、
自分が今までいかに上から目線で生きていたのかが解ったわ!
負け組と呼ばれる人の気持ちも、
少しは解るようになれて、
感謝している。
と、しみじみ仰有った。



私が部活でお世話になっていた頃は、
先生は既に50代後半に入っていて定年も間近。
あれから30数年が過ぎたけど、
ちっともお変わりのない印象だ。
背筋がしゃんとして、
頭も冴え渡っている。

昨年末には、
最初の教え子が三人で訪ねて来て、
来年は一緒に旅行へ行くという。
最初の教え子も御年74歳…

その年令になっても、
恩師が元気でいるなんて何という幸せな!

どうか楽しいご旅行になりますよう!!



他愛のないよもやま話をして、
先生宅を後にした。
私は本当に先生っ子で、
小・中・高校時代の恩師と未だに交流があり、
公演にも駆けつけて頂く。

今年のグリーンホール公演には、
N先生というもうひとりの顧問の先生と、
観に行くわと仰ってくださる。


先生は名前を『アキ』という。
あまちゃんも毎日観ていた、
玉学のアキちゃん”
なのだ。

アキちゃん!
こうして訪ねていける私は、
本当に幸福者です。
どうかお元気でいて下さい。


そして今年、
悔いがないように、
会いたい人に、
会うべき方に、
精一杯努力して訪ねていこう。


その日
その時
その再会を
大切にしよう。






アキちゃんのおかげで、
少し元気になりました!






Android携帯からの投稿