終戦の日 平和を祈る | はるか彼方へ

はるか彼方へ

What will be will be

平和と幸せを祈ろう!

▼本日限定!ブログスタンプ

あなたもスタンプをGETしよう


台風の進路を見ていたら、舞鶴港が目に入りました
舞鶴港は終戦直後からの13年間、346艘(660万人)の引き揚げ船が入港した港で、「岩壁の母」で有名だったとこです
母も看護婦(師)業務としてシベリアからの復員兵を迎えに行ってました

当時の病院船(高砂丸)

これに乗ってた当時の話しをよく聞かされた



今どきだからググってみたら沢山の資料があるのね、こんな写真も見つけました

この看護婦さんたちの中に母もいる可能性大


復員兵は1500人ほどで殆どが陸軍兵で海軍兵は数人、死にそうな人も多かったらしい

ナホトカから舞鶴までの航海中に亡くなった兵隊さんを軍隊式の水葬で送ったこともあったとか


母が1番忘れられないのは、日本に上陸直前に亡くなった兵隊さん

乗船時から死にそうな状態で、日本に帰りたい、日本に帰りたいとそれだけをうわ言で繰り返していたそう

やっと日本の陸地が見えてきたが検疫のために沖に1日停泊しなくてはいけなくて、明日やっと日本に上陸出来るという日に力尽きて亡くなったと


その人はまだ二十歳くらいの若者で、どんなに無念だったろうと母は話してました


息子を持つ私には他人事ではありません





何故母からの話しばかりなのかと言うと、終戦時父はまだ中学生で幸い空襲の被害にも遭わずに済んだので大した記憶がないようでした

大人になったら飛行機乗りになってB29を撃ち落としたかったとは言ってましたがね


戦後は遠くなり、親から伝え聞いた世代も私くらいが最後じゃないかと思ってます


ロシアによるウクライナへの侵略戦争も、まだ終わる気配がない状態で、こうしてる今も沢山の人が戦禍で苦しんでいると思うと居た堪れない思いですし、やがて台湾→沖縄→本土へと飛び火する可能性も無いとは言い切れないでしよう

平和を祈りつつしっかり目を覚ましていなければいけないと思っています





今ならこの歌詞がよくわかります