もう半世紀以上も昔のことです。
バスでの移動でした。
下関から門司まで関門トンネルを歩き、下関だか門司だかで「くじらの博物館」に行き、宇佐八幡宮から別府。
別府泊は覚えているのですがもう一泊はどこでしたっけ?
連泊だったのかも知れません。
高崎山、別府の湯めぐり、阿蘇山、耶馬溪、順序も覚えておりません。
福岡、大分、熊本と強行軍だった記憶はあります。
真夜中に小学校を出発し、真夜中に小学校着。
それ以上に忘れられないのが、米持参だったこと。
一泊一合の米、二合の米が重かったのだけは覚えています。
中・高と修学旅行の度に、小学校の時は米を持参した話をするのですが、皆に信じてもらえずじまいでした。
他校では、当時は新幹線もまだなく修学旅行列車なるものがあり、クラス毎に2分で列車に乗る練習をさせられた話とか、横断歩道を素早く渡る練習とかを白線を引いた運動場でやらされた話等、今から考えれば笑い話のようです。
幸い田舎の小学校で2クラスしかなかったので、バスが選択されたのでしょうが、列車で行くとなると2泊3日でこのコースは無理だったと思います。