ただ話をしているだけで楽しい。
こう思える相手がひとりでもいたら人生はかなり幸せです。
“コレコレだから結論はコウだ”。
こういう会話だけでは疲れてしまいます。
“結論を出すためでも、相手を言い負かすためでもない、
フワフワと漂うような言葉のやり取りが
何よりも幸せなことなんだと今は心から思う”。(重松清)
慌しい生活をしていると、明確な結論が見いだせない会話が味気なく感じられるかもしれません。
建設的な会話や言葉をあえて放棄してみることも時には必要なのでしょう。
“こう思うのよね”。
“なんで?”
こう切り出すと楽しいはずの会話も台無しです。“フワフワ感”が出てこない。相手の言葉を妙に分析し、心無い言葉を返してしまうことは私にもよくあります。これでは相手も疲れてしまいますね。
”慌ただしい世の中に生きていると、そういう「フワフワ」に罪悪感を感じるクセさえ出てくる。 けれど、恋人との会話、夫婦の会話、親子、兄弟姉妹、友達との会話には、フワフワしているものがあったって悪くはないでしょう”。
会話はディベートではありません。
知識の羅列でもありません。
会話の本質とは理屈という次元を超越した“フワフワ感”なのだと私も思います。