日本人が寡黙でアメリカ人が雄弁なのはなぜ? | ◆弁塾◆話し方で人生を変える!≪毎日更新塾長日記≫◆

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(写真/KOJI/ドバイ・アラブ首長国連邦)

 

 

“演説とスピーチってどう違うのですか?”
生徒さんからよく聞かれることですが、実は演説とスピーチはまったくの同義語。私が日頃、演説とスピーチを同時に使うため、疑問に思う方が多かったようです。

演説という言葉を造ったのは福澤諭吉をはじめとする慶応義塾大学関係者。
“舌の字はあまりに俗なり、
同音の説の字に改めん”、
演舌から演説という表記になったようです。
“演説とは英語にてスピイチと云い、
大勢の人を会して説を述べ、
席上にて我思ふ所を人に伝える法なり

(『学問のすゝめ』十二編)”。

そもそも演説の概念すらなかった当時、多くの聴衆の前で自分の意見を述べる演説は試行錯誤をしながらの創造行為だったようです。討論、可決、否決などの言葉が造られたのもこの時代です。

さて、経済学や医学にも理論があるようにスピーチにも理論があります。アメリカ人は雄弁(eloquent)だと言われます。しかしこれは民族的性質というよりも教育システムが整っていることがその理由。

古代ギリシャではレトリックと呼ばれる弁論術の原型が形成されソフィストによって弁論術が広められました。プラトン、ソクラテス、アリストテレスはその理論を構築した代表者です。アメリカでは建国後、これら古代ギリシャの弁論術を基にした教育が普及し実学的な演説教育が確立したのでした。ここが日本とは大きく異なる点です。


福澤諭吉がなぜ演説の学部(department)をつくらなかったのか、その理由は不明です。