プレイヤーの居ないゲームキャラクター
読者のいない本のストーリー
再生されない映画DVD
「観測者がいない時」ってどうなるんだろう?
量子の世界でいえば、観測されないものは「存在しない」らしい
存在しないというのは語弊があるけど
「形を成さない純粋なエネルギー」としてしか存在しないらしい
※有名なシュレディンガーニャンコなど同様
目・視線・観測すること
つまり「意識されている状態」
これがエネルギーを固定化し、形を成して存在する為の絶対条件
結果として、我々が存在しているという事実自体が
ゲームする時、のめりこんでる時
我々は自分をゲームキャラそのものだと錯覚する(だから楽しい)
でも、ママから「ごはんよ~」って言われて
ハッと気づいた瞬間
それは、まんま現状にあてはまるんだよね
我々もまた、「錯覚しているプレイヤーの自我の一部」
プレイヤーが意識を投影する人形の1体ということ
だからって我々が虚しいただの幻想ということにはならない
視点が違うだけなの
より広義の視点と 狭義の視点
プレイヤーが「我に返ったとき」
勇者も姫も魔王も仲間も村人Aも・・・
一つの意識に統合される。「プレイヤーの意識の中」に。
それがスピ系のいう
「ワンネス」「源」って奴の正体だろうね
それは「私」を失うことだろうか?
より大きな私の中に溶けてしまうのは、恐ろしいことだろうか?
実際は違うと思う
ひたすらスライムを倒し、ゴールドを稼ぎ、魔王を倒し
セーブして、目覚める・・・閉じられたルールの世界で
延々同じことを繰り返していたゲームキャラ が
延々同じことを繰り返していたゲームキャラ が
プレイヤーの立場 になったなら?
どれだけの、途方も無い自由を感じるだろうね?
我々もきっと同じ・・・
現在、認識している様々な法則・概念・ルールが消し飛ぶほどの
「我に返る瞬間・トリガー」はいつなのだろう
ゲームキャラの死(ゲームオーバー)?
それじゃ一瞬のことで、すぐコンティニューされてしまう(輪廻転生)
本当に終わらせるには
ゲームをクリアする必要がある(解脱)
では、ゲームクリアの条件 とは?
(少なくとも魔王に立ち向かう必要はなさげ)
今、わかってるのはココまで・・・
いつも応援嬉しいわぁぁ\(^o^)/



