夏場は空手はそこそこ。

SUP(立って漕ぐボート)とカヤック持参で毎週末能登の海へ出かけてました。

能登の海の水は透明。魚と一緒に泳いだり、ボードの上で昼寝したり。

一日中海でボーっと遊ぶのが夏の娯楽。

 

今年も思いっきり遊ぶつもりで装備を揃えてたんだけど。

 

元旦の地震で夏の思い出は大変な事になりました。

 

かつての輪島朝市はこんな感じ

 

よく旅番組や観光パンフレットで見る光景

 

元旦のニュースでご覧になった焼け野原は実はココです

 

 

 

永井豪記念館は

 

 

こうなってしまいました

 

思い出の見附島

 

 

崩れてしまいました

 

 

いくら水がキレイな能登でも水道の水は別物です。

4月になってやっとこ蛇口から水が出た。そんな状態です。

飲み水の確保が一生懸命で風呂も洗濯も後回し。

いくらきれいでも海水は使えないのです。

金沢から親戚が悪路を走って運んだポリタンクで汲んできた水も衛生上の理由で飲用と食用には使わないでと指導が入るそうです。寒い冬場だったから良かったものの、確かに夏場だったら別の問題が発生します。

飲料水のペットボトルは意外に早く手に入るようになりました。コストコにはうずたかく積まれたペットボトル飲料水コーナーがあって、現地の親戚やお知り合いに渡せるように豊富な在庫がありました。値段を釣り上げて売った小売り業は早々に地元新聞に晒し上げられ、公正な値段は保たれましたが元旦直後のコンビニからペットボトルの水とお茶は一瞬で蒸発していました。

 

地震が起こるとどんな悪路になるかをわかりやすく説明すると、道路のマンホールの蓋がある部分が全部飛び出して70センチ近く盛り上がっていたそうです。現地に行った人は「スーパーマリオの土管みたい」と言ってました。土管をよけるために反対車線に行こうとしても、道路が車線を境に隆起しているためタイヤの横っ面を擦ってパンクしちゃう。その結果パンクで運転できなくなった自家用車が乗り捨てられてまた道を塞いで。そんな車が災害救助隊の到着を阻みました。個人で被災地に行かないで欲しいとはそういうことなのです。現地で誰がカレーを食べたかどうかなんてもうどうでもいいのです。


地震直後、元旦の避難所で配られたのは災害用の非常食。

元旦の寒い体育館で非常食用フリーズドライ用の米に冷たい水を入れて食べる生活は本格的な支援が入るまで結構続きます。

現地の仕分けに混乱が生じる善意や廃棄食品がいっぱい届いてさらに混乱が数週間続きます。

温かい食事って本当にありがたいのですよ。地震は地面がただグラグラ揺れて終わりではありません。あるところでは停電も数日のセットで来ます。いくら冷凍庫に備蓄を詰め込んでも停電が来たら数日も持ちませんね。

能登の地震が元旦で、餅を食べる時期だったので良かったですね。

食べれられる環境だったらの前提で話していますけど。

 

大規模避難所が近所にあったため、パジャマ一枚で着の身着のまま家が倒壊した子が金沢に家族ごと避難って話も聞きました。

子供の小学校にも家族で避難してる子が何組か転校してきました。私の子供の昨年の担任の先生は旦那さんの実家に帰省したまま帰らぬ人になってしまいました。冬休み前まで元気だった先生がいきなりいなくなる、とてもショッキングな事です。3学期スタートと同時にスクールカウンセラーが小学校に配備され、子供たちの心のケアがされています。

 

 

災害直後、トイレにはものすごい行列ができます。震源地に近い避難所は水が出ない状態です。水の流れないトイレの順番待ちを想像してください。公共のトイレをキレイに使えるのは元気な証拠。避難所のトイレはいろいろな人が使います。トイレが間に合わず失敗する人、オムツの人、動きの遅い人専用のトイレなんかありません。避難所に行かずに倒壊寸前の危険な家に滞在する人を高みの見物で批難する方はきっと想像がつかないでしょう。そういう方は次は高みの見物で行政や政治の怠慢にすり替え批判するだけでしょう。

 

不自由がある家族を置いて避難所に行けない、他の人に迷惑がかかるから避難所に移動できない人もいるのです。福祉避難所もパンパンです。施設の設備も焼け石に水です。さらに被災地では職員自体が被災者でもあるのです。災害の中、最悪の設備と人員で家族と引き剝がされ避難できる障害やケアの必要な方がどんなものか、それを引き受ける職員の心労と体力の限界がどれくらいのものか想像できるでしょうか?たとえ災害だから仕方がなかったとしても、周囲で携わる人たちは被災者を救えなかった苦しみや悲しみをこれから引きずり続けることでしょう。

 

地震が起きてから激甚災害地には調査の人が入ってきてこの先住める家かどうか判定に来ます。赤紙が貼られた家はもう取り壊し。住めません。黄色い紙はイエローカード。修繕が必要。赤と黄色の差はでかいのです。ド田舎だから一軒家でいいようなもの。関西に行ったときには地震が起きたらどうするんだろうなーと思いながらニョキニョキ生えてるタワマンを見上げていました。エレベーター使えなくなっちゃったら大変だよね。というか入れなくなったら生活できんよね。

水が出なくなったらそもそも住めないよね。

 

地震が起きてから3日足らずで激甚災害地の携帯の通信は途絶えました。通信基地の電源が無くなったのです。電源供給車は当然災害地へ向かいました。通れる道路は行き止まりと乗り捨てられた車で塞がって動けません。イーロンマスクの会社の通信がこんなかたちで活躍するとは誰も思っていなかったことでしょう。今は当然つながりますけど。地震直後に数日は携帯がつながらない時期がある事もあるのです。日本海の荒波の中、自衛隊のホバークラフトが能登に電源供給車を搬送してました。

 

地震が起きてからしばらく県外ナンバーの救急車が能登から大量の急患を金沢へ搬送してきました。寒い時期で避難所生活。インフルエンザとコロナが蔓延しました。体の弱い高齢者は病院へ運ばれ、感染症は金沢の病院でも広まりました。結果、普段なら入院級のケガや病気でも病床が空かないので入れませんでした。骨折した私の叔母もギブスをはめて自宅静養することになりました。家屋や家財に不便が生じなくても金沢には今もそういう面でちょっと不便なところがあります。

 

地震の直後はデマが発生しやすい。これも本当です。火事場泥棒なヤツが今から能登に行く、このナンバー見たら要注意みたいなツイッター(現X)が横行し、実はそれがただの業者さんの車だとか。それを鵜呑みにして拡散する人間の多いこと。人工地震だとかもうゲップが出るほど見た。実際に火事場泥棒も居たんだけど、民家に入って高級ミカンを物色して逮捕されたヤツがすぐに地元新聞に晒し上げられていたし。今までの教訓を活かしてるのか被災地の警察官の投入数も桁違い。全国の警察官が毎日束で能登に向かっているので素性の怪しいボランティアはすぐ職質を受ける体制になっていると思います。個人で勝手にボランティアはたぶんしないほうがいいんじゃないかなと。とにかくバールのような物は能登には持ち歩かないほうがいいと思います。

 

お正月明け、仕事始めのはずなのに亭主はその日の午後にさっさと帰ってきました。

私の職場(福祉施設)にもポツポツ来て大迷惑なのですが、公共施設爆破予告を送り付けてくる人がいるのです。

爆破予告が出た以上、従業員を危険にさらすわけにはいかない優良企業は営業ができなくなっちゃうのです。

時期的に空気読んで欲しいところだけど、不穏な状態だから爆破予告なんかしちゃうのかな。

私の職場は基本ほったらかしです。そんなの気にしてたら福祉の仕事はできません。気分は大仁田厚か大日本プロレスのレスラーです。

 

 

これが能登からそこそこ離れた金沢での私のゆるい地震エピソード。

震源地に近い方は近いほどもっと壮絶な体験をしている事でしょう。胸が痛みます。

ここを読む皆さんに能登の地震の事で伝えたいことはいっぱいあったのですが、幾度となく書いて投稿をためらう日々を過ごしてきました。

最近地震が多いので皆さんが備えられる事を考えられる参考に今日は破棄せずに投稿してみました。

水と使い捨てトイレは大事。絶対覚えておいてくださいね。