「ある手紙」


結局、ダライ・ラマには謁見できないが、ダラムシャラー

は上々だ。

霧につつまれる、この街の様子は、さながら神の宿る

聖域にも思える。

明日、夜行バスでデリーに戻ることにした。

お金もまだあるし、デリーで買い物でもしよう!


※この手紙は、ダライラマ側公認のパンチェン・ラマの写真の葉書だった。

中国政府側の認定パンチェン・ラマは別にいるという話だった。

その後、二人のパンチェン・ラマがどうなったのか?

僕は、それを今知らないくらい、チベットに関して無知で、無関心だ。

これが僕の現実。

この当時は、チベットについて僕なりに考えた。

今どうなっているのだろう?

例えば、新潟。ルワンダ。コソボ。パキスタン北部。イスラエル。チェチェン。

僕は、ほんと典型的な平和ボケ日本人だな。