ダニにやれることもなく、快眠。

ゆっくり朝は過ごして、熱いシャワーを浴びて宿の下のレストランで

朝食。ナンみたいなものと、卵焼き。これが、うまい!


行けることまでと旧市街へ歩いてゆく。

ババール・ヤマン(イエメン門)から、旧市街へと入場する。

そう、入場という言葉がふさわしい。(無料だけど)

そこは、1000年、いや2000年前のアラビア世界さながら。

日干し煉瓦と白い漆喰の窓枠の家並みが、美しい。

歩けど歩けど、路地裏は素晴らしい。

全然違うのだけれど、ヴェネチアの路地裏の静謐を想いだす。

ここで、地図は無意味だ。

金曜日だからだろうか?静けさが心地よい。

旧市街そのものが世界遺産という場所は数多けれど、

ここは、最高の部類だろうなー。


インフォメーションを兼ねた旅行会社で、いろいろ質問をする。

やはり、昨晩聞いたように、現在旅行パーミットがおりないらしい。

そんなことより、イエメンで働かないか?と本気で職を薦められた。

グアバジュースを飲んで宿へ帰る。


当時、イエメン国内での移動には、旅行パーミット(許可証)の携帯

が義務づけれていました。

それがないと、サナアから1歩も出られず。

団体旅行や、四駆をチャーターなどしない限り、移動ができないというもの。

つまり、バックパッカーの締め出し。

それと、この期間にもツーリストの誘拐事件が続発したことも理由。

イエメンもアラブの部族社会。

冷や飯をたべている小部族が、環境改善のために、外国人旅行者を誘拐し、

要求をするなんてことがあった。

要求が、ガスを村に通してくれ!とか、そんな哀しいものも多いらしい。

もちろん、原理主義の場合もないとはいえない。


まあ、いずれにしろ、僕らバックパッカーもしたたか。

そんなことくらいでは諦めない。

「狐と狸の化かしあい」なのである。当局に従って、

「へへー、おでーかんサマ。静にサナアでじっとしています!」

なんていう気弱なバックパッカーは、イエメンにまで来ないのである。


ちなみに、当時日本では外務省より、渡航自粛か延期勧告かという対象国

だったはずだ。

それでも、戦争しているエチオピアや、クーデター後のコート・ジボワールより

危険な感じはしなかった。