糸魚川の語源について | 糸魚川ジオパークのおじさんのブログ

糸魚川ジオパークのおじさんのブログ

日本で最初に世界ジオパークに認定された糸魚川ジオパークの魅力や出来事などを紹介します。

 糸魚川の語源については以前のブログにも取り上げましたが、その後、自分で少々掘り下げて調べて見ました。これまでイトヨ説と帰化人糸井姓説が有力説でありますが疑問点も残っています。私は北海道育ちであり、道内に「糸魚」の付く地名が良く見られるのでアイヌ語からの転訛した可能性もあるのでないかと思いアイヌ語由来説として述べたいと思います。

 先ず、これまでの有力説を検証します。城の川にイトヨが棲んでいたことは確かで、海岸沿いの大和川にも棲んでいました。現在は見ることはありませんが、時には海で捕獲されたのを戴いたことがあります。トゲウオ科に属し、降海性で河川で生まれ海洋育ちの習性であるが陸封となったものもある。日本海や北海道の太平洋沿岸に見られる小型魚です。

 ↓現在の城の川にはウグイのような小魚が群れています。

 

 福井県の越前大野市には糸魚町があり本願清水には陸封の糸魚が生息しており天然記念物に指定されています。

糸魚川市が発足した時に糸魚を三匹組み合わせた市章を作成しました。平成の合併で市の象徴としては使用されなくなりましたが糸魚川語源説としては大きな存在です。

 

 糸井姓からの説は機織りに関して西日本を中心に各地に見られます。新羅からの帰化人に糸井姓があります。仲哀天皇の后の神宮皇后は新羅国の渡来人「天之日矛」を母としていますが、この系統に糸井姓・三宅連・橘守があり但馬から大和に移住したとされて居ます。機織りに関係していて糸井神社が各地にみられます。

 但馬の朝来市養父には糸井川が流れ、糸井小学校・糸井局も存在しています。奈良県磯城群川西町結崎には糸井神社があり豊鍬入姫命、呉国からの職人綾羽・呉羽等が祀られており糸井氏が関係しています。この他糸井の地名は各地に見られます。広島県三次市糸井、兵庫県揖保郡太子町糸井、栃木県芳賀郡市貝町笹原田糸井・・・等。しかし、糸魚川に糸井氏一族が来たか否かは定かではありません。

 経王寺にある旧一の宮の神宮寺梵鐘に刻まれた寄進者名に「大旦那糸井河道浄次郎左衛門尉」とありますが、糸井姓と読むのは困難です。永享四年(1432)のことですが既に「イトイガワ」と云う地名があったようです。その後も、糸井姓は糸魚川に見当たりませんので帰化人糸井氏説は難しい所です。

 奴奈川は西頸城一帯から東頸城にかけての地名ですし、姫川を糸魚川と称したかも不明です。やはり糸魚川地名は奴奈川地域の一地区を指すものと思われ現在の城の川を挟み糸魚川中心市街地付近一帯を指すものと思われます。城の川の名称がついたのは糸魚川に城が出来てからですから1601年以降です。「糸魚川」が出てくるのは永正6年(1509)村山氏系図があり「糸井川」は至徳4年(1387)市川頼房軍忠状に見られます。

 現在の「城の川=天神川」の古い名については記録が見当たりません。これが糸魚川でこの川の周辺を指す名称であったのではないかと推定されます。私の勝手な仮説です。

 

 アイヌ語説は私が提唱する説で、北海道の地名からの発想です。アイヌ族は古くは本州中部まで棲んでおりました。

 糸魚川にもアイヌ語由来の地名が多く残っています。アイヌ語そのものではなく変形して居ますが、もともとアイヌ語は地形を示す意味が多く含まれています。齋藤丈氏の著作「糸魚川藩足軽の記憶」から引用しますと、城の川の出口付近に「道仏」はトー(沼)・プッ(出口)で沼の出口の意、北海道では濤沸湖があります。西海地区の「平牛」はピラウシからで「崖のある所」です。上刈もウエンカリからで交通困難の所、カリは屈曲する川で蛇行氾濫する川の意味です。他にも多くのアイヌ語が変形した地名が多く示されています。次に北海道のイトイ地名を調べました。

 

①    苫小牧に小糸魚があります。「コイトウィエ」の発音から来たもので意味は波が砂丘を打ち崩した所です。倭人が住む様になり「小糸魚」になり、更にコが抜けて糸魚になり更に近年は糸井に換えました。

コイトイ→小糸魚→糸魚→糸井と変化しました。これは各時代の地図を並べて見ると良く解ります。小糸魚川が現在も存在する。

 昭和初期の参謀本部の地図を調べると↓

 最近のヤフー地図から作成すると↓

 糸魚川市の城の川は砂丘の一番低い所を流れています。将に、砂丘が波にやられた所です。糸魚川の海岸は波浪被害が度々あり護岸工事に波消しブロックを大量に設置しました。

 将に「コイトウィエ」そのものです。

 

②    釧路に近い白糠町庶路海岸にはコイトイ「恋問」と言う地名がありコイトイ川があります。

③    稚内市の空港近くの海岸にはコエトイ「声問」地名がありコエトイ川が流れています。何れも波が砂丘を崩して川の出口となった所です。砂丘で川が塞がれるような所ですので川が海岸と平行したり海岸近くに沼が出来ています。

 

④    内陸部の士別市と下川町の境に「糸魚岳」914mがあり麓の士別市朝日地区には「糸魚小学校」があります。

糸魚小学校のホームページに糸魚の説明が記載されているのにはアイヌ語「イ・トエ」から高い崖のある所の意であることが記載されています。

⑤    厚岸湾近くの根室本線に駅名「糸魚沢」がありますが巨大淡水魚のイトウはアイヌ語でチライカリぺッですが倭人はイトウ・イド・イト・オビラメ・チライ等と称しています。ここはアイヌ語でなく倭人のイト魚から糸魚沢となったようです。

 

以上アイヌ語からの地名を紐解くと、「コイトウイェ」波が崩した所からと、大きな崖がある所「イ・トェ」がありますが、大きな崖は糸魚川市では駒ヶ岳や海谷峡谷等がありますが、遠すぎると思います。やはり砂丘を波が崩した所が当てはまるのではないかと思います。糸魚川市の駅付近は沼地の跡で三反田は沼地や湿地帯でした。

 当地でも北海道の例からアイヌ語が変化し「コ」の音が早い時代に抜けて「イトイ」となり川の存在からイトイ川の地名になったのではないかと想像します。

 波浪被害の多かった糸魚川海岸は今波除けブロックで保護されている。↓

以上、ジオの関係から見ると北海道のアイヌ語地名が当てはまりますが、確たる文献・証拠はありません。