久しぶりに糸魚川市に鉄道の新駅が開設されました。姫川駅開業の1986年11月1日以来のことです。
「えちご押上ひすい海岸」と言う長い名前の駅名が付けられました。「押上」は東京のスカイツリーのある地区の押上と同名のため、「えちご押上」として区別していますが、東京の押上とは同名のよしみで交流があります。越後の外れにある小都市糸魚川市内にはこれで鉄道駅が13駅あることになります。糸魚川駅からは僅かに1.5km程しかありませんが、この地区には県の振興局や糸魚川総合病院、糸魚川高校・斎場などの重要な公共施設があり市民の足の確保には駅の存在は大きな意義があります。開業までには半世紀にわたり要望があったとのことです。
上り(糸魚川方面行き)ホーム↑
直江津方面行きホーム↑
立派なトイレ棟↑
長い名前の駅名↑
周辺案内板にはヒスイ海岸・百霊廟・玉翠園谷村美術館・翡翠園がある。
また、糸魚川=ヒスイと言うことで知られていますが、ヒスイ探しに来られる人達にとっては最高の福音であると想います。高校に通う生徒達も通学の距離が短縮されるので喜ばしいことでしょう。無人駅とは言え屋根付きバス停よりはましなもので小さな駅舎だが別棟に立派なトイレ施設もある。新しい自転車置き場もある。変っているのは上下線の乗り場が道路を挟んで離れている千鳥式ホームです。上り線の駅舎が水路上にあるのも珍しい。
また駅の東側直ぐ近くには「デッドセクション」と言う鉄道の電車用架線が交流・直流切り替えのため電流の流れていない部分があります。えちごトキメキ鉄道はディーゼル車ですので必要なしですがJRの貨物列車などの電車では切り替えの操作が必要となる区間です。
新駅開業の式典は13:30より特設のテント会場で行われました。
押上には古くから伝説があります。海岸側の旧国道と西海線との交差点の北東角には「五倫社」と呼ばれる小さな祠があります。鎌倉時代に後醍醐天皇の皇子である高良親王が天皇の命を受けて能登から東国へ船で行く途中遭難し御遺体が押上の浜に打ち上がり、その御遺体をお祀りしたのが五倫社であるとの説があります。御遺体を引き上げたのが新町の「じんべえ」と「じんのじょう」の二人であると伝えられており、天津神社の伝説と共通するものがあります。
五倫社↑
ヒスイ海岸 ↑↓ ヒスイも押上がる
百霊廟と中村美樹翁像↑
押上地区は糸魚川でも古くから纏まりの良い地区で知られています。その一つの証に日本初と言われる共同墓の百霊廟があります。区内の墓を一ヶの墓に纏め、区内で亡くなった方は誰でもこの廟に入ることができます。糸魚川町長を務めた中村美樹翁が無縁墓の解消と土地の有効利用を含め大正五年に完成しました。
石の町糸魚川といっても糸魚川駅付近では海岸は波除けブロックで埋め尽くされて海岸に出ることができません。新駅はヒスイ海岸近くであり、これで「石の町糸魚川」と胸をはって言うことができるようになりました。
この駅が出来たことによって糸魚川市内の町歩きの観光にも新しい流れが出来そうです。
えちご押上ひすい海岸駅・ヒスイ海岸で石拾い・押上地内の見学(五倫社・百霊廟等)・玉翠園・谷村美術館・翡翠園・天津神社と奴奈川神社・ヒスイ王国館・糸魚川駅と言う様なヒスイ三昧コースも考えられます。