糸魚川ジオパークの紹介324 早川谷1 | 糸魚川ジオパークのおじさんのブログ

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日本で最初に世界ジオパークに認定された糸魚川ジオパークの魅力や出来事などを紹介します。

西浜七谷の一つ早川谷の見所を集めてみました。先ずは入り口付近から山並みをみますと焼山や火打山が眺望されます。先日、白根山で突然の水蒸気爆発があったように、焼山も活火山であることを念頭に置かなければならない危険な活火山です。一時噴煙が上がり心配していましたが。最近は落ち着いているようです。

 

 松尾芭蕉が奥の細道を歩いた記録で早川の渡りで転び、衣を濡らしたのをしばし乾かしたとのこと、昔は、防備上で橋を架けないのが通常のことでした。

       早川橋付近から早川の流れ焼山を望む↑

早川左岸には奴行列で名高い立壁神社があります。この地は急な壁を立てたような崖で上部には上杉氏の出城要害の支城の金山城があり北陸道の監視役をしていました。

  金山城の眺め↑ 大雲寺に裏から望む

  立壁神社↑禁汚穢の石     奴行列↓

右岸の中宿側の山地の砂利採取場あとには往時の姫川の流れの跡とみられる段丘があり海岸地帯が隆起する前の氾濫原であった模様です。ヒスイは見つかっていませんが、ヒスイが地上に現れる以前の地層と推定されます。 ↓

高速道路より少し奥に入熊野神社があり、ここには芭蕉の句碑がみられます。当地で詠んだ句ではありませんが、「蓬莱に聞かばや伊勢の初たより」と云うお正月に相応しい句があります。

   熊野神社↓       芭蕉の句碑↑

 独立した峰の険しい地形で山城相応しい不動山城(447.5m)が眼前に開け、昔を偲ばせます。上杉氏の拠点であったこの城は山本寺氏の居城でしたが、上杉謙信の死去に伴い跡目相続の際には山本寺氏は兄の景定と弟の景長が分かれて戦い上杉景勝勢に加担した弟勢が継ぐことになりました。山の麓には館があり要害という地名になっています。弟の景長も後、魚津城の戦いで戦死し不動山城は廃城になりました。山頂近くには狼煙台があり勝山城や徳合城などの光回線が存在していました。この地にあった耕文時は後、西海谷に移転してきました。

 月不見池の手前から眺めた不動山↑丸い頂上が美しく見える 

 史跡不動山城跡標識↑ 本丸跡標識↓

 不動山から海岸の眺め。勝山が良く見えます↑

 早川谷が一望に、月不見池の地すべり崩壊した跡がよく見える↑

 不動山城について詳細な説明看板があります↑

 一部拡大しますと、不動山城の位置は西頸城の重要な拠点であった事が窺えます。ここから根知城・勝山城・金山城・松山城・徳合城との狼煙通信網が可能でした。

   要害付近から焼山・火打山の眺め↑。昔はこの付近に武士の館があったのでしょう。五社神社・寺院跡(耕文寺)・人切り場・墓碑などあり強者どもの夢の跡です。

  

 現在はこの付近は自然環境保全地域に指定され、コナラ・アカシデの自然林がみられます。