糸魚川ジオパークの紹介150 まちあるき案内版 海望公園 | 糸魚川ジオパークのおじさんのブログ

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日本で最初に世界ジオパークに認定された糸魚川ジオパークの魅力や出来事などを紹介します。


まちあるきでは必ず立ち寄る公園、海望公園を紹介します。

 この場所は、以前糸魚川警察署がありましたが、昭和29年昭和の大合併で糸魚川町が市へ格上げとなり、昭和33年には海岸に近いこの地にモダンな市役所が出来ました。それから平成6年までの36年間は市行政の中心地であったわけです。





 先ず目につくのが奴奈川姫と建御名方命の像です。この像は、昭和35年に市制になった記念に建設されました。製作したのは、市の芸術家彫刻師の藤巻信樹氏です。当所は市役所の正面にあり南

を向いていたように思います。市役所がなくなってからは現在の場所に移転、方角は、大国主命の国の出雲の国方向となっています。奴奈川姫の物語をざーっと復習すると次の通りです。


 さて古事記によりますと、出雲の国主とも言うべき大国主命(八千矛命)が越後の奴奈川国に美しく賢い姫がいると聞き、是非お后にとやって来ます。そのくだりが美しい詩文で綴られています。日本最初のロマンスとも言われます。

 

 大国主の后となった奴奈川姫に男子の子ができます。それが銅像にみられる建御名方命です。幼名を美穗須須美命と申しました。後に諏訪神社の神様になった時には建御名方命を名乗っています。


 奴奈川姫は何らかの理由があって郷里の糸魚川に戻ってきます。出雲勢は姫を取り返しに追ってきます。姫は逃げ惑い、最後には稚児ヶ池周辺で見失うことになります。最後は池に入水したとの説がありますが当地方の伝説です。


 さて、建御名方命ですが出雲国が大和勢力から国を譲れと迫られた時に反対したことで追われ、母君のふるさと糸魚川から信濃路へと逃げました。諏訪湖のほとりで大和勢の建雷命に降伏します。諏訪のこの地から動かない約束で許され、出雲の文化、農耕や狩猟をこの地に広めます。諏訪神社の神様はこうしてできました。

 10月を神無月と申します。全国の神様は出雲に集合しますからなのです。しかし出雲では神在月です。諏訪の神様だけは動かない約束なので諏訪神社だけは神様がいつでもいらっしゃいます。・・・・こんな話もあるんですよ。

多分、大国主命は糸魚川に産するヒスイの珠が欲しかったのでしょう。後の世に流行る政略結婚の走りなんてしょうか? 奈良時代から仏教の伝来と共にヒスイや玉造は忘れ去れます。



出雲の国が国譲りをした大和朝廷、2,000年の悠久の年月を経た今日、大和朝廷から御姫様が出雲に嫁ぐとのこと、交流が拡がっています。





海望公園には他にも見物があります。勾玉池とこの地から出土した土器の模型があります。




 国道8号線を挟んだ海岸には虹の展望台があり。日本海や頸城アルプスが展望できます。残念ながら海岸線には波消ブロックが敷設されていますので降りられません。





公園の入り口には相馬御風の誌碑があります。



 「かりそめの遠出なれども夕されば旅の心になりにけるかも」


海望公園は市民の広場ではありますが、他所からいらした方が列車の時間待ちに一時の憩いの場としても利用されています。