私の自己紹介に代わる記事はこちら

 

 

 

「会社員・造形作家」である私が、ネコフィギュアを作るのは、役に立たない価値をカタチにしたいから。

 

私は幼いころから「理屈ではなく、好き」という感覚をずっと持っていたように思います。そのことを思い出しながら、ネコのフィギュアを作る理由をお話しさせていただきます。

 

 

あなたが幼い頃、大切にしていたモノは何ですか?

 

 

誰しも幼児の頃、肌身離さず大切にしていたものがあるのではないでしょうか。

 

 

私はネコのぬいぐるみです。「ニャンコちゃん」と言いました。それはおそらく私が3歳か4歳の頃からあって、小学生くらいまでは大切にしていた記憶がありまず。50年ほど経った今も実家のどこかにあると思います。

 

家にいる時はいつもいっしょに行動していたので、しだいにぬいぐるみとしての起毛はほぼなくなり、「布人形」のような状態になってしまいました。そこである種のカバーも兼ね、母がニャンコちゃんの「マント」を作ってくれました。

 

 

さらに足は摩耗して擦れ切れたため、そこも母が靴下を兼ねたパッチワークでカバーしてくれました。また柄のシマシマも薄れてしまったのでマジックで描き足してもらった記憶があります。その結果、上記イラストのような感じになりました。もう現物を確認できず写真もないため、私の記憶で描きました。


誰しも、おそらく男女を問わず、幼少のころに自分の気持ちを落ち着かせる「人形、ぬいぐるみ」や「タオル」などは記憶があるのでは、と思います。



では自分が「これは便利だ」と思ったものは何ですか?

 

 

一方、自分の記憶の中で「これは便利だ」「役に立つな」と思ったものは何でしょうか?

 


私は「ジャージ」「メガネ」「ナイロンの靴」「納豆巻き」です。子供の頃の方がインパクトが鮮明なので、その当時のもので上げてみました。

 


「ジャージ」は確か、さかのぼること約40年。中学1年のころ初めて履きました。上着はなくズボン部分だけを購入しました。4800円くらいだったような記憶があります。

 

 

アシックスの紺地に赤いライン。ラインは太い線と細い線がミックスされた当時のアシックス独自のラインです。ブランド名は「パウ」だったかな~。

このジャージを初めて履いた私は、大変な衝撃を受けました。
「なんて快適なんだ」と。

 

 

今まではベルトを通すジーンズなどが主流だった小学校までの私が、中学の部活に入ったことをきっかけにジャージを履いた。この衝撃の快適さで、私は「もうこのまま一生ジャージで暮らしたらなんと快適なことだろう」と思いました。


ジャージの他にも、視力が落ちていた私が初めてメガネをかけ「おーなんと鮮明な視界だろう!」と感動したことや。

 

また、それまでは帆布製やゴム締めの靴しか履いていなかった私が、初めて近所の靴屋さんに母と行き、確か当時3000円くらいのナイロン製のひも靴を買ってもらい。その軽量さ、快適さは、宙に浮くくらいの衝撃を覚えました。

 

さらに小学5年の頃、実家がすし屋である後輩の家に遊びに行ったとき、おやつとして出てきて、生まれて初めて食べた「納豆巻き」に、これまた「この世でこんなにうまいものがあるのか」というほどの衝撃を今でも覚えています。

 

それまでのり巻きとは、かっぱ、鉄火、かんぴょう、の3つしか知らなった私には大変な衝撃でした。

 

 


機能的な価値のモノと、情緒的な価値のモノ。

 

さて、なぜ長々と私のしょっぱい話をしたかと言いますと、モノには「機能的価値のモノ」と、「情緒的価値のモノ」があるように思います。というお話しです。

 

 

私の幼少期で言うと、快適性や便利を感じたジャージや、視力をカバーしたメガネ、軽快なナイロンのくつ、衝撃の組み合わせの納豆巻き。

 

 

これらは私に、その機能で感動したものたち=機能的な価値があるモノだったと思います。

 

 

一方「ニャンコちゃん」は、ものすごく大事にしていましたが別に実用性は何もなく、ただ持っているだけで気持ちを落ち着かせるとか、ちょっと安心とか、おそらく「情緒的な価値」があったものなのではないかと思っています。





一見、役に立たないものにも価値はある。のでは?

 


そして昔の話しはさておき、現在の話です。今はテクノロジーの発展が早いので、機能的価値が目立ちますね。「役立つ」「効率的」「便利」「お得」などの価値がとても重視される傾向を感じます。

 

 

私もデジタル機器とか新しいテクノロジーなどはけっこう好きな方なのでパソコンも、簡単な自作パソコンだったり、デジタル機器もかなり好きです。

 


しかし一方、実用性のないもの、効率の悪いものはどうか。今の時代は少し、その価値が軽めに見られる傾向を感じます。

 

 

「ボーっとする時間」「仕事に直接関係のない雑談」「移動時間」など、しかしこの「一見何の役にも立たないと思しきモノ」にも実はとても大きな価値があるのではないか、と感じます。

 

 

これは「昔のモノやアナログなものも良い面はあるよね」というようなレトロ趣味的な話しではなく、むしろ「この一見何の役にも立たないと思われたモノこそ、今の世の中で実は非常に重要な役をもっているのではないか」ということです。


まいどすいません。また長くなってしまったので、ここで前篇とさせていただき、この続きは後編にて、お話しさせていただこうと思います。だいたい自分の目安は、1つの記事を3,000字以内くらいに、と思っているのですが、越えてしまう場合に分画させていただいています。

 

 

ーーーーーーーーーーーー

後編はこちらから

 

 

ーーーーーーーーーーーー