Gardianinho~polisherman diary~ -9ページ目

Gardianinho~polisherman diary~

サッカー・長万部・モノ

久々に母校に行った。
金町にある某大学。

4年ぶりに覗く研究室には、モノが溢れかえり、自分がいた頃とは比べ物にならないくらい充実していた。

教授とは昔の話で盛り上がったが、当時から変わっていないものもいくつかあった。


自分が所属した時は研究室一年目、いわゆる立ち上げ。
研究室を作る立場だった。
その中で残っていたのが、研究室のマニュアル。共通のストレージだったり、パスワードだったり、忘れ防止に色々作ってはファイリングしていた。
教授にあれ、継ぎ足しでまだ運用してるよ、と言われてファイルを見ると、確かにそうだ。自分の適当に作ったフォーマットがそのまま受け継がれていた。
ゼロベースからなんとなく、で作っていったものが研究室のルールになっていて、どこか誇らしかった。

学生達の会話はどこか若々しく、クズっぽく聞こえたが、きっと数年前まで自分もこうだったのだろう。
ただ、みんな真剣に取り組んでいる姿は、研究室らしさそのものであり、当時の自分があのように映ったか、と言われると自信はない。

今の学生は朝開始ギリギリに来るそうだ。当時の自分は早く来て、ジムで一走りしてからスタートしていた。朝型の生活は今も続いていて、それが社会人生活の財産の1つになっている。教授にだんだん朝が早くなる、と言う話をしたら、俺の友達もそうだ、と答えてくれた。自分のベースは間違っていないのだろう。

研究室も5年目。繁盛していて、誇らしい1日となった。

中国でも結果を残すことが、また1つの恩返しかな。
サッカースパイクの進化、があるならキーパーグローブにも進化がある。
もっと言えば、スパイクにトレンドがある様に、キーパーグローブにもトレンドがある。

スパイクで言えばカンガルー黒革→カンガルーカラーアッパー→マイクロファイバー軽量スパイク→ニット使用スパイク→ハイカットスパイク、だろう(あくまで大雑把だが)。

キーパーグローブも歴史が古く(ここら辺は省略)、次第に役割と素材の進化とボールの進化に合わせてバージョンアップしてきた。

今回はボールの進化に対してグローブはどの様に変化してきたかを書きたい。

①〜フランスW杯 クラシック時代
色の変化はあるものの、いわゆる五角形と六角形の32面体がボールの形状を占めていた時代。ボールも重く、キーパーグローブに求められたのは衝撃吸収のみであった。従ってこの時期のグローブはとにかく厚手のが多い。

②〜日韓W杯 軽量ボール時代
ユーロ2000あたりからボールの軽量化が進んだ。シュートストップ時の重みから解放されたので、今度はキーパーグローブに素手感覚を求める様になった。そこで3mmパームが主流になる。しかし、ボールの軽量化で以前よりボールのブレが大きくなった。そこで指の部分は少し広めになってグローブとボールの接触面積が大きくなる様設計されている。

③〜ユーロ04 真球化時代
この頃の32面体の接合技術は、ユーロ2004の公式球ロデイロに代表される従来の縫いによるものでは無く熱による接合だった。これでボールはより丸くなり、ボールの変化は大きくなった。それに伴いキーパーはしっかり掴むことが要求され、素手感覚に加え改めて衝撃吸収やグリップをグローブに求める必要があった。パームの厚さは改めて4mmが主流となり、指間は細くなり、素手に近い形状になった。この頃には後にNIKEが流行らすVG3テクノロジーはあったし、手の保護という意味で反り返り防止(adidasのフィンガーセーブやNIKEのワイヤードなど)の開発が進んでいった。ハーフネガテイブカット(インシームカット)やガンカットといった、指の形状が多様化したのもこの頃である。

④〜ドイツW杯 ブレ球時代
ボールのパネル変更に伴い、ブレ球が大流行したのがこの頃である。見た目に大きな差は無いが、各メーカーグリップ力の向上に努めており、それが大きく見えた時代。ブレ球に対する対処の答えは、触れた際の摩擦を増やし、少しでもボールに作用させることだったのだろう。よりボールを弾くことにクローズアップされた時代でもあり、手の甲側にもパームが施されたグローブが多かった。

⑤〜南アフリカW杯 続ブレ球時代
ボールのブレがますます大きくなり(カシージャスがジャブラニをビーチボールと比喩したのは有名)、しかしながらグローブに画期的な進化は生まれなかった。しかしながらブレ球に対応するためにゴツくなる一方だったグローブも嫌気が刺され、パームとメッシュを組み合わせて軽量化されたグローブが増えた。

⑥〜ブラジルW杯 多品種時代
ブレ球のブームも終わり、多種多様なシュートが飛んでくる様になった。キーパーはより動きやすいグローブを求めた。そこで技術の進歩に伴い、立体形状のグローブが主流になった。グローブの形状そのものが、力を入れていない手の形に沿う様なものである。位置や指により指幅の形状は変わり、ボールを扱う、という事にフォーカスされていった。またロイッシュやウールだけだったキーパー向けメーカーもSELLSやHOといった新興メーカーの台頭があり、グローブの選択が増えた時期である。

⑦現在 オールコンディション時代
ボールは晴れの日も雨の日も同じように扱えるように進化していった。と言いつつそれをグローブに求めるのは酷である。そこで、視覚的にキッカーを脅かそうと、カラーパームが流行りつつある。かつてはグリップ力が低下するため避けられていたが、技術の進歩で白パームと同等のスペックである。かつてのメキシコのカンポスのように、威圧感のあるグローブが増えつつある。ちなみにユニフォームについては派手なデザインがルールで禁止されているが、グローブについては言及されていない。

昔と比べカラフルになったサッカーアイテム。スパイクは黒、グローブは白、という世代にとっては不思議だが、見て楽しむのもありだろう。


久々に日立台に足を運んだ。
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相手は残留争い真っ只中の甲府。前節は横浜相手に快勝。今節は吉田達磨監督始め、縁の深い柏との対戦。一方柏もクリスティアーノに伊東と、こちらも縁深い。前節は東京相手に快勝、負けなしのチームだが、新潟など、下位相手に取りこぼしがあるのも現実だ。


柏のラインナップはキーパーに中村。ディフェンスラインは右から小池中谷中山古賀。古賀は久々にスタメン。中盤の底に大谷とキムボギョン。両翼に伊東とハモンロペス。前線はクリスティアーノと武富が縦関係だ。

ベンチにはディエゴオリベイラが久々に復帰。アジア枠含め外人は4人。手塚不在でゲームメイクを担うキムボギョン、得点源のハモンロペスとクリスティアーノは外せない。残留争い相手には攻めあぐねることを想定してベンチにディエゴオリベイラを置いたのだろう。そうするとユンソギョンがレギュラーだった左サイドバックを誰が担うか。練習を見て、古賀を下平監督は選択したのだろう。


甲府のスタメンはあまり記憶にないので飛ばす。


さて、結果は元柏ドゥドゥのゴラッソで甲府がウノゼロの勝利。
バックスタンドから見た、いくつかのカギを書こうと思う。

①古賀の左サイドバック起用
ユース時代は左サイドバックが本職だったとはどこかで見たが、右利きの彼は柏の左サイドを、結果的に殺す形となった。ファーストタッチがほぼ全て右足で中を向く形となってしまい、そこから左サイドへ展開、という形が見られなかった。日本代表の長友も右利きであるが、彼はファーストタッチを右足で、セカンドタッチを左足で(縦に)持っていくことが出来る。それがあるから停滞が無い。加えて古賀の縦への推進力が乏しく、ハモンロペスをしばしば孤立させていた。
残念ながらこの日の柏の右サイドの伊東と小池はかなり研究されていて、中々形が作れなかった。だからこそ左で崩せる形を持ちたかったが、それが出来なかった。
手塚のように、じゃあ右がダメなら遠目でも左でもとりあえず引き出しちゃうよ!という役割をキムボギョンが出来るわけでも無いので(彼はボールを触りながらのプレーが特徴なので幅を作るタイプの選手では無い)、甲府が次第に柏のリズムに慣れてしまい、決定機を作ることが中々出来なかった。
結果論だが、荒削りだがガンガンいく輪湖を起用した方が、攻撃の面では良かったと思う。フィジカルでは輪湖は分が悪いとはいえ、古賀よりは攻撃に幅を持たせ、ボールを回せる時間が増えたはずだ。

②ディエゴオリベイラ投入
おそらく下平監督は右は研究されているとはいえ、辛抱すればこじ開けられるし、ゴール近いところで起点を作れればチャンスが増えるだろう、という意味で武富アウトでディエゴオリベイラを投入した。
実際彼の投入で奥行きは出たが、甲府は3センターに両翼の5バック。中々スペースを作る事が出来なかった。
武富の出来も悪くなかったので、孤立無援のハモンロペスを下げた方が、甲府にとっては圧力になったと思う。伊東とクリスティアーノのウィングのイケイケウィングにセンターディエゴ、の方が押し込む事が出来ただろう。最初の連勝街道の際はクリスティアーノは左サイド起用だったし、オプションとしてはあったはず。左はハモンロペスの個人技で、というのが下平監督にはあったのかもしれないが、彼は生粋のドリブラーでも無いし、ハッキリ言って交代枠を上手く使えなかった下平監督にもこの敗戦の責任は大きいのかな、と。

③中山は代表に早く呼ぶべき
この日もスピードある外人フォワード相手に後手に回ってしまった中谷中山の2センターだが、それでも中山は代表に早く呼ぶべきだと思った。スピード不足や一対一の対応などまだまだ課題は多いが、ボールを回す意味で彼は十分やっていける。
単純なディフェンス能力では中谷の方が上。中山は下平からはフィード力を買われている。実際前半は中山から右サイドへのフィードでチャンスを作った。
面白いと感じたのが彼のボールの蹴り方。ガンバの井手口なんかもそうだけど、軸足を踏み込んでからボールを蹴るまでの時間が短い。これは海外組に共通する蹴り方で、日本ではボールを蹴る時に軸足を踏み込んでから蹴り抜く、と教わるが、海外ではそれをやると踏み込んでる間に詰められてしまう。現在札幌の稲本なんかも、海外に行きまずボールの蹴り方を変えたそうだ。踏み込んで蹴る、というよりは足にボールを当てに行く、という表現が近いらしい。
中山のフィードの速さ、軌道はJでは見ないレベルだった。本職のボランチでも見て見たいが、代表と一緒にプレーする事が彼の成長には不可欠の様に思う。




終わりに。
海外クラブとJを見比べると、やはり止める、蹴るが物足りないな、と。ただのショートパス1つにしても、右足に置かせるか、左足に置かせるかまでのディテールが海外クラブにはある。
伊東純也も怖い選手ではあったが、タッチの質を見ると、、となってしまう(とは言えトップスピードでボールを扱う技術を彼はもっているが)。
ちなみに代表の中村は、失点シーンはポジショニングのミス。あれだけディフェンスがニアから詰めてるんだから、もう少し左にポジションを取るべきだった。ゴラッソだったので止めれる、とまでは言えないけど。

しかし鹿島のもたつきに付き合った柏は苦しくなった。まずはACLの確保を現実目標にして欲しい。
新婚ほやほやながら、まだ別居状態なので、実感が湧きにくい今日この頃。左手の薬指だけが今までと唯一違う所だ。

愛は身体にいい、という記事をこの前見た。良くあるキスは身体に良いとかそういう似たような内容だったけれども、そういえば、と思うところもあるので、恋愛と身体について書きたいと思う。


と言っても人生数人しか付き合った事がない僕には語る資格がないかもしれないが笑

小さい頃、クリスマスの朝は必ずと言って良いほど目覚めが良かった。プレゼントは何だろう、ただそれだけのワクワク感である。
ただ、そのワクワク感は何にも代え難い感情であった。クリスマスの日は早く目覚めて日中は眠いはずなのに、プレゼントを使いたくてウズウズし、眠気そっちのけなのである。一種の興奮状態なのかもしれないが、身体にとっては刺激があり、非常に良い状態に思える。

おそらく、良い夫婦の日々というのはそのような一種の良い刺激が、ずっと続いた状態なのではないだろうか。だから身体に良い。どれだけ早く、ぐっすり寝た夜の朝よりも、愛する人が目覚めた瞬間隣にいる朝には敵わないと思う。事実、彼女(今は妻だが)とどれだけ寝るのが遅くなったとしても、翌朝の目覚めは清々しいものである。

いずれは落ち着く感覚なのかもしれないが、おそらく愛が身体に良いとはそういう事だろう。

満員電車も、デスクワークの疲れも、そんなのそっちのけなのだろう。

…これ以上言うと惚気になりそうだ。
今日はこの辺で
しばらくまともに書いてなかったこのブログも、人生の転機を機に再スタートしようと思う。

自分は決して物書きではないし、別に文章が得意なわけではないが、やっぱりこのブログには愛着があるな、と思う。振り返ると、初めての投稿はもう9年程前になる。
将来振り返るとき、このブログはきっと大きな財産になるはずだ。

さて、2017年7月16日に入籍しました。
仕事もつまらなく悩んでいた時期に出会って、それから僕の人生を良い方向に導いてくれた素敵な女性です。本気で向かい合える、最高の妻です。

結婚はタイミングとは言うけれどその通りで、まさか岡山で出会った女性と結婚するとは思ってなかった。しかもこの歳で。
結婚の決め手は?と聞かれると、(結婚に対して)迷うことがなくなって、人生を幸せな方向に導いてくれる女性だと確信したから、と答える。
人生山あり谷ありだけど、谷の後に大きい山を作ってくれるような、そんな感じ。

入籍前日から当日の夜寝るまで、何度感動泣きしそうになったことか。身体がそう反応していて、本当に素敵な女性と結ばれたんだな、と思った。もちろん妻の前では泣かなかったが。

この先いい事ばかりではないと思うけど、それも人生、最後に2人で笑えたらな、という人生にしたい。

まだ始まったばかり。地に足つけて、日々の小さな幸せを実感したい。