毎日が目まぐるしく変わる3月だった。
まず、沖縄挙式。
金曜日の春秋航空で重慶成田の直行便。
台風影響による使用機到着遅れのため、帰国したのが22時前。
実家帰宅後は親と話す暇もなく翌日の準備。
土曜日は6時前には家を出て、8時頃のフライトで出発。
つまり、4時間睡眠状態で沖縄に向かう。
疲労と緊張のせいか、食べ物もろくに通らず、挙式当日を迎えた。
挙式にて牧師の方が話された「野口英世の母の話」は、我々の状況を踏まえて、考えてくれた言葉だと思う。
「かの野口英世の母は、はるか遠い異国の地で活躍する息子の無事を毎日毎日祈っていたという」
で始まった言葉は、心に刻まれる事になると思う。
虎舞竜の「ロード」ではないが、何でもないようなことが幸せなのだ。
仕事に行く間事故にあっていないか、
知らぬ間に無理して体調崩しているのではないだろうか、
心配しだしたらきりがないのだけれど、今は毎日寝る前に、嫁も俺も、無事に一日が過ごせたのだな、とベッドで思いにふけっている。
異国という不自由だらけの環境では、何気ない毎日が送れる幸せを、強く感じなければとつくづく実感する。
少し脱線したが、挙式は滞りなく終了した。強いて言うなら、料理が美味しかったため、ついつい酒が進み、最後のスピーチの時には頭の回転が悪くなっていたぐらいだ。
式の後に誕生祝でサプライズで花束を渡したのだが、持っておきたいと嫁が言い出し、押し花代で追加出費となった。大きい額だが、時に思い出を残すためにお金を使うことは悪くないだろう。
翌日は念願のA&W、沖縄そば、首里城、国際通りと無難な沖縄満喫をし、帰路についた。
ここでも飛行機が遅れ、成田についたのは予定より1時間後。京成線は最終列車だった。翌朝を考えて成田に安いビジネスホテルをとったのは大正解だった。
久々のビジネスホテルで6時間寝たら、すぐ出国。中国に戻って疲労が取れるまで丸1週間かかった。
つまり、3月2週目は疲労との戦いだった。とはいえ、月末に重慶ミニマラソンを控えた身。身体にムチ打って走り込みをするしかなかった。
3週目には、日本から役員が来場。週末に観光に行った。土曜日は近くの蒋介石の遺跡巡り。彼については初めて知ったが、近代中国史の中では重要な役割を持つし、中国の歴史に少し興味がわいた。
日曜日は世界自然遺産である武隆カルストに行った。
日本では考えられないような地形であり、その壮大な自然に圧倒された。
写真では伝わらない迫力なのが残念である。
さて、その翌日、風邪を引いた。鼻水が止まらないのである。次の週末にはマラソンであるというのに。
仕事から帰宅すれば、ネギ、卵の入った暖かいそばを食べ、酒を飲むこともなく寝た。
なんとかマラソンには間に合った。
さて、25日に開催された重慶マラソン。5kmのミニマラソンの部に参加した。重慶領事館主催のチームで参加したので、前日には壮行会が行われた。
領事館に足を踏み入れることなど今後まずないだろう。とても綺麗で、料理もおいしかった。
さて、マラソン自体は8時開始であり6時ホテル発と早起きで大変であった。
8字になっても、列が動かない。スタート地点から手前1km程、ランナーの行列なのである。最初の10分弱は全く動かず。スタートライン付近まで来た頃はさすがにジョグが出来るようになっていたが、スタートの写真を撮る人間の多いこと。渋滞の理由がわかった気がする。
さて、小雨の中の5kmは楽しかった。荷物を背負って走らなければならず、後半腕まで血が回らなくなったのを除けばだが。
途中領事館の女性に写真を撮ってもらい、わけのわからない応援集団とハイタッチしたり、楽しんだ。序盤、マラソンというのにコース幅ギリギリまで横断幕を広げ、行進していた集団には流石にビビった。こいつらマラソンでも何でもないやんけ、と。広告持ちの歩き人がたくさん居て、それをかわしながら走る必要があったので、トップギアで走れるまでは700m程かかった。
ゴール地点、電光掲示板で45分ちょうどでゴール。最初動けなかったのを考えると、28,9分ぐらいでゴールだと思う。
元々走るのは苦手な人間なのだが、これはこれで面白かった。早い遅いは別として、走るのを少し好きになった。
継続的に取り組もうと思う。
さて、月末には赴任して3ヵ月、ようやく1年のテーマが決まった。現地スタッフともコミュニケーションは少しずつ取れて来てるし、
現場も挨拶したら返してくれる。結果で恩返しできるように頑張らなくては。
さて明日から四月。生活にも少しずつ慣れてきたし(といっても完全は無理だろう)、仕事も私用も充実させたい一か月だ。
では