Gardianinho~polisherman diary~

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サッカー・長万部・モノ

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4月の人事異動で、自分より上位が全て変わった。1人は役付的には昇進なので全ての景色が変わったわけでは無いが、直上(その差10以上!)が突如異動となったお陰で、部下の面倒をこれまで以上に仕事の中身だけでなく勤怠含めて面倒を見なくてはならなくなった。

始まってまだ数日だが、ある事に気付く。

マネジメントに時間を費やされ自分の時間がない!!


自分の仕事に向き合えるのは早くても午後。ベクトル合わせ、分担、手続き、、、やることがとても多く思考が追いつかない。プレーイングマネージャーとはこれか、と。

四苦八苦てんやわんやしつつも、人を動かすのは好きな事なので、いずれ慣れるだろう。

新居もあり一日中頭が休まらないが、休む時は休もう。

 

一時はエンバぺの大会に傾きそうながらも“メッシの大会”となった2022FIFAワールドカップカタール大会。

 

日本は新しい景色を、を合言葉にあと一歩のところまで行ったがまたしてもベスト8の壁を超えることができなかった。

 

壁となり立ちはだかったのがディナモザグレブ所属のドミニク・リバコビッチ(Dominik Livaković) 。

 

 

 

まもなく始まる冬のマーケットにはオフ中のスキーで負傷し長期離脱の決まったノイアーの代役としてバイエルンが興味を示していると噂されるほどの注目銘柄となっている様。

 

 

さて、今大会はPK戦は全部で5つ(日本対クロアチア、スペイン対モロッコ、ブラジル対クロアチア、アルゼンチン対オランダ、フランス対アルゼンチン)あり、それぞれの試合の勝利の立役者であるリバコビッチ、ボノ(Yassine Bounou; モロッコ/セビージャ)、マルティネス(Damián Emiliano Martínez Romero; アルゼンチン/アストンビラ)には大きなスポットが当たった。

特にリバコビッチとマルティネスは2試合勝利に導いており彼らのPKストップ率の異常さに驚愕した人も少なくないはず。

 

ということで、ここでPKに強いキーパーはなぜ存在するのか、にフォーカスを当てようと思う。

僕自身、現役時代はPKが得意で楽しかった。若干165cmしかない自分に止められた方は屈辱的ではなかったのだろうか。

プロの世界でなぜこのような得意な選手がいるのか興味深々になったため、この記事を書くことに至った。

 

 

 

【きっかけ】

 

森保JAPANがクロアチアに屈してから数日後、「PK戦は運ではないから日常的に導入しよう」という論調があちこちで散見されるようになった。場数をこなせば決定率が上がるでしょ、という考えだ(ほかにもあると思うが)。実際に野々村チェアマンも言及している。

 

 

他にも、スペインのルイスエンリケが100本練習させたとか、PKの準備に関する逸話が色々流れていた。

 

ただ僕自身はこの論調に納得いかない部分があった。場慣れしているキッカーでも時に外すのはこのワールドカップでも見られたからだ。

 

特に印象的だったのはオランダのファンダイク(Van Dijk; リバプール)。所属先のリバプールではPK戦で勝つためのトレーニングさえ行っている彼が、マルティネスにストップされている。

 

 

 

 

玄人の間では伝説のPK戦とも呼ばれる試合では、対峙するGKの挑発もなんのその、えげつないコースに決めている彼が、だ。

 

 

いくらコースが甘かったとはいえ、完璧なストップ。

 

 

となると、キッカーはトレーニングだけでは補えない部分があると考えた。そこで、GK出身の身からして、蹴る方を鍛えるより、止める側の脅威を増したほうが勝てるのでは?との結論になり、実際にPK戦を振り返ってみることにした。そうすればPKに強いGKがいる、という情報だけで優位になるのではないだろうか、という発想である。

 

 

 

【PKのキックは2種類しかない】

 

GKの話をする前にキッカーについて少しだけ触れておく。なぜなら蹴り方次第でGKのアプローチが変わってくるからだ。

助走、ステップ、色々なアプローチがあるが、個人的にはけり方は2つに分類されると考える。

 

①キッカーがコースに蹴ることを念頭におくPK

 一般的なもの、と解釈してOK。どこかのタイミングでキッカーはこのコースに蹴ると決め、それに合わせて助走、キックするものであり、8割以上はこのタイプと考えてよい。キック精度に自信のある選手や普段PKを任されない選手は大方こちらの蹴り方になるだろう。迷いがないというメリットの反面、GK目線では蹴る少し前に動いても問題ないものになる。

 

②キーパーのタイミングを外すことを念頭におくPK

 ひと昔前になるが遠藤保仁のコロコロPKが代表格。最近でいえばジョルジーニョ(Jorge Luiz Frello Filho; チェルシー)がその筆頭だろう。

 

 

GKを先に動かす、重心をずらすことが目的で、確実に裏をとるもの。メッシはワールドカップではこちらの蹴り方を主としていた。相当な練習が必要で高度な技術が求められるのがデメリットである一方、GKさえ外せれば成功率が格段に高いのがこちらの方法だ。

尚、ロシアワールドカップの日本代表初戦のコロンビア戦で香川真司は決めたPKに対して、「GKの裏をかくことだけを考えて蹴った」とコメントしている。

 

 

 

最大の特徴は助走にあり、蹴る前のラスト数歩でできる限りの時間を設けることにある。

 

実際データ無くこのPKをやられるとGKはなす術無し、である。

ジョルジーニョ、意外と外してるじゃん!と思う方もいると思うが、それはあくまで彼の蹴り方について情報があるからだ。

最後まで待てばいい、それだけの話である。

 

ではここから①のタイプのキックに対してGKのアプローチを考えていく。

 

 

【PKでGKが出来ること】

 

ではここから具体的にGKのPKまでのアプローチを紐解いていこう。

GKがPKの時に与えられる時間について、4つのフェーズに分けられると思っている。具体的には、

 

①キッカーがボールを保持するまで

②審判が笛を吹くまで

③助走の途中

④蹴る直前の2ステップ~蹴るまで

 

の4つ。それぞれの時間においてキッカーがどこに蹴るかという予測と、失敗させるための心理的圧力の2つをできる限り行う必要がある。

 

予測の部分の考察はかなり長くなるので次回に回すこととして、まずは心理的圧力についてまとめていく。

 

 

【阻止率、失敗率を変化させる心理的圧力】

僕が現役時代よく考えていたのが「PKは心理的にはGKが圧倒的に有利」である。それは「決めて当然というプレッシャー」と「決められて当然止めればヒーロー」という極めて単純な構図である。

そこにGKからの心理的圧力を最大限かけることで、少しでもPKを有利にさせようというものだ。

ちなみに今大会のPK戦で圧倒的にこの行為を行っていたのはマルティネス。おそらく彼はPKを自分のものにさせること、に全神経を注いでいるように思える。

では、上記4フェーズに分けてどのようなことをすべきかまとめていく。

 

①キッカーがボールを保持するまで

 前のキッカーが蹴った直後から、駆け引きは始まるといって良い。この時点で構えるGKはいないし、割と好きなように過ごせる時間だ。

最も単純な圧力はキッカーのそばに寄ることだ。格闘技でいうフェイスtoフェイスの様なもので、これからお前と勝負だからな、という合図である。個人的にはGK自らキッカーにボールを渡す、という行為が好きで、受け取った瞬間のキッカーがその時点でどのような心境なのか大体察することができた。

尚、僕が人生で一番好きなPK戦であるリバプール対ミランの決戦では、リバプールのデュデクがこの行為を行っていた。

 

 

このフェーズで一番大事なのはGKが余裕を見せることだろう。どこかどちらに跳ぼうか、といった迷いが表に出るようなことがあってはならない。

ちなみにこのフェーズでは未だ予測は始めないべきだと思っている。参考になるのはせめて目線程度で、情報量があまりに参考にならないからだ。

 

②審判が笛を吹くまで

 ここからが勝負の始まりだろう。キッカーはボールを置く、助走をとるという蹴るための準備のためのフェーズだからだ。予測の話は別途として、ここで心理的圧力になるものはGKの立ち位置だろう。じっと見られると何か観察されているような不快さがある。少し片方に寄った位置にいても気味が悪い。大柄のGKならばジャンプしてバーを鳴らして音で不快さを生むのもよい。

 逆に背の低かった僕は、蹴るときにいかにキッカーに対しゴールを小さく見せるか、に注力していた。具体的にはこのフェーズ時はゴールラインより後ろにいることであり、最後にゴールラインに立った時に一番体を大きく見せるのが目的だ。心理的優位という意味ではGKはライン上に体をのせたら準備完了の合図なので、キッカーの準備が終わった後にゴールラインに立つことで、GKの時間を少しでも長くすることにより自分の時間を作り心理的優位に立つことは必須と考える。

 

③助走の途中

 このフェーズで出来ることはせいぜいゴールライン上で動く、体を広げる程度のもので、実は心理的圧力へのアプローチはさほど多くない。一番予測に頭を使うべきフェーズととらえているので、特筆はしない。

 

④蹴る直前の2ステップ~蹴るまで

 最後のこのフェーズについては2パターンに分けられる。動くか動かないか、だ。

 

プレジャンプ等予備動作も含めて、一番大事なのは膝の使い方であり、視覚的にキッカーがキーパーはどっちに飛ぶが関節視野内で捉えやすいのが膝の動きだと考えている。

飛ぶ直前のステップも極力膝の向きを動かさない(飛ぶ方向に向けない)のがキッカーにとって”どちらに飛ぶかわからない”という心理的圧力になり、GK優位にさせるコツである。

 

蹴る直前に左右のステップを入れ惑わすのも一つの技。これを駆使していたのはペトル・チェフ。

 

 

キッカーからするとどのタイミングで動くかわからないので非常に厄介だし、方向があっていたらどうしよう、という圧力にも繋がる。ジョルジーニョ式PKの唯一の対抗手段だと思っている。

今大会はボノがこの左右ステップを頻繁に行っていて、スペインに対してかなり有効になっていた。

 

 

では、次記事において予測について深掘りします。

 

 

 

デルタに続いてオミクロンも感染してしまい、ルートも社内と一緒でいたたまれない11月末を過ごした。今回は明白に症状があったので少しまとめたいと思う。


きっかけ。

定時過ぎ、ゲホゲホゼーゼー言いながら帰った人がいると現場から連絡が入る。該当現場には多少出入りはするし、話もする、程度。(結果当人も連絡者も陽性)
増えてきてるよなあ、と他人事の感覚。

翌々日

少し喉に違和感。忙しかったので疲労から来る風邪と思い、のど飴とルル錠剤を飲み早めに就寝。夕方以降は少し鼻詰まりがあった記憶。
夜中に目覚めると38.1と発熱。実は前週も風邪で発熱しており、またかといった気分になる。

翌日(0日目)

朝起きると平熱に戻っており、喉の違和感は緩和され鼻詰まりのみとなっていた。こりゃ風邪かな、と判断して出社。
9時半過ぎから異様に喉周りが痛くなり鼻声が酷くなる。明らかにおかしいと感じ、10時半過ぎに上長に伝えて帰宅。
昼過ぎで微熱ぐらい。喉痛すぎて水を飲み込むのさえしんどかった。
こりゃ黒か、と思い抗原検査キットを購入して検査も陰性。
喉が痛すぎて全然寝れず。

1日目

熱は37度台も喉の痛みが著しく、発熱外来を午前中に受診して抗原検査にて陽性。薬で喉の痛みは若干緩和される。
おやつ時にチョコを食べた時に味覚がない事に気づく。
さらにゴミ出しをしようとした時にゴミ袋の臭いが全くせず、おかしいと思いゴミ袋に頭突っ込み匂い嗅ぐもやはり匂いはせず。味覚嗅覚異常を認知。

2日目

味覚嗅覚以外の症状に薬が効き始める。熱はそれほど上がらなかった気がするが寝汗が凄く、シャツを何枚も着替えた。
まだ喉は痛いため食欲は控えめ。
夕方に船橋市に頼んでおいた支援物質が届く。申込翌日に届いたので悪くない。段ボール2箱で、おそらく1箱3日分の計算だろう。中身は大体一緒で、乾麺のうどん、麺つゆ、イワシ缶、ゼリー、カップ麺。まさかのカップ麺以外は全く一緒な物でつまらんと思いつつも味覚がないのでいっか、となる。なおAmazonのブラックフライデーで仕方なしにパルスオキシメーターを購入。

3日目

何もせずに3時45分に目覚める。完璧。スペインに勝利。みんながこれから仕事という発言をよそに、自宅療養という名のリラックスタイムに入る。
だいぶ症状は緩和される。尚この日から鼻詰まりの傾向と咳の数はほぼ一定。
イトーヨーカドーのネットスーパーが初回配送無料であることを知る。翌朝着で配給と味が異なるものを注文。

4日目

主症状は嗅覚味覚の異常のみとなる。食事につまらなさを感じ始める。丁度ネットスーパーから荷物が届く。味はわからねど視覚的に飯が変わる。そろそろゴロゴロ生活を脱却せねばと思い始める。

5日目

身体を起き上がらせ生活し始める。掃除洗濯自炊全てこなせる状態。
と言いながらも流石に体力が落ちていた、半日も体力が持たない。

6日目

通常の生活にほぼ戻る。と言っても外に出れないので、一足早い大掃除に取り組む程度。鼻水が戻らないことに気付く。味覚嗅覚はまだダメ。

7日目

最終日。ヨガをしてみたり、室内で身体を軽く動かす。結局味覚嗅覚は戻らず。


以上が療養の7日間。キツかったのは最初の3日間だった。尚、味覚嗅覚は1週間後に戻った。

もう、コリゴリ…

気付けば2児の父になった一方、2人とも立ち会えなかったどころか新生児期に会えてないのだから、イマイチ生命の感動とはかけ離れたところで父親をしている気がしている。


と言っても次男坊の持病の都合で拠点を千葉に置くことは極めて厳しい状況だったし、仕方ない。

逆に言うと、西日本最大の小児外科が妻の近所にあったことが奇跡というか、運がよかったという解釈しかない。

幸にも不幸にも?自分自身1人で生活出来るタチなので、生活面で妻に全く心配されていないという状況。我が家の会話は『ちゃんとご飯食べてるの?』ではなく、『相変わらず自炊してるの?』である。



6,7月とようやく4人家族全員の時間を持てた。長男坊はパパをしっかり認識し、次男坊は整った顔立ちから時折笑顔を振り撒き癒しを提供してくれる。毎晩が長男坊の暴れっぷりと次男坊の授乳という戦争に黙々と立ち向かってる妻には感謝しかなく、自分はせいぜい、稼いで健康で浪費しない生活をするしか出来ない。


2歳を過ぎた長男坊は、気付けばしまじろう時代に終焉を迎え、アンパンマン時代の真っ只中。アンパンマンポーズを可愛くキメ、サンサン体操を踊りまくる。まるでアビリティを運動神経に全振りしたような成長を見せていて、足は早い下半身は強い。暑い中ズボンを穿かそうとすると脚をバタつかせ全力拒否、普段はタンクトップにパンツ姿の為、そのムチムチ体型から完全に山下清。

不思議なもんで、一緒に住んでた頃は風呂寝かしつけに対しパパは絶対イヤ!だった長男坊がすんなりお風呂昼寝にパパ指名。どうしたもんかと不思議に思った一方、内心嬉しかった。まあ、次男坊が居て自分が構ってもらえる時間が減ったことでパパへ求心しているのだと思うけど。


次男坊は生後複数回の手術を乗り越え、何か悟ったようなオーラを身にまとう。まだ先には大変な手術を待ち構えていることも知らず、あちこちに笑顔を振り撒く姿はまた長男坊と違う印象。なんとなく次男坊の方が長男坊より自分に対して惹きつくのは、より自分に似ているからだろう。そして通算で7日間もまだ会っていないにも関わらず、初の寝返りをパパの前で見せてくれたのは、次男坊なりのパパへの挨拶だったのだろう。



そろそろ単身赴任の辛さ、というか、家族とバイバイする時にうるっと来てしまう(この表現だと今までなんとも思っていなかったのかと雷落ちそうだが)のが家族というものをより深く感じるこの頃。


週末を家族のために全力を尽くしていた頃(朝7時から長男坊と公園で遊び…)が懐かしいが、1人は1人なりに時間をかけてみよう。運動、勉強、スキルアップ、出来ることは色々あるはずだ。



ついに?節目の30歳を迎えた。


特に変わりは無いし、何も無ければ少なくともコレまでの人生分働き続けなければならないと思うと、人生まだまだと感じる。


年末から一人暮らしになり、広い家に一人というのはどこか肌寒く、静かさの中の暮らしというのは中々慣れない。

あちこちに見える子どもの跡や妻の小道具が尚更孤独感を加速させる。

とはいえ、我慢?してきたサッカー三昧の日々も悪くない日常である。



ここ数年、SNSが(根拠のない)情報源として確立されてきた今、日々色々な情報を吸収出来る。


普通のサラリーマンとして、最近感じるのは上の世代が『コレからは君たちの世代が〜』なんてよく口にするが、それは時代についていけなくなった人間の戯言でしかなく、結局権限を持つのは上の世代なのだから、少しでも時代をシェアしなければならない、ということ。


なるべき内容の説明に加え時代背景を盛り込む作業は飽き飽きするし、古めかしきべき論でしか仕事が出来ない上の世代はもはや老害でしかないな、と。

今までこうだったから、なんて経験論だけではついていけない時代の流れの早さに気づいて欲しい。そこで経験や知識は裏切らず助けになるのだから。


オリンピックなどのコンテンツの影響もあるが、30を迎えて改めて向上心とは何かと日々見つめ直している。

仕事においてはそれは好奇心でしかなく、製造業に身を置く者としては、今まで会社になかった価値観や新たなスタンダードを外で学び中で反映させること。

井の中の蛙とはよく言うが、自らの経験だけで周りの人間を動かす時代は終わるべきなのだろう。


中国時代、彼らの新しいものに対する吸収力には感銘を受けた。保守的な日本はおそらく今後彼らの変化についていくことは難しいだろう。

だからこそ、べき論と時代の流れの乖離を掴み、アップデートさせて仕事に落とし込む。


30代、これからの仕事は時代に合わせたスタンダードを落とし込むことに注力したい。


節目の日を家族と過ごせなかったのは残念だが、縄跳びをブンブンさせ、スコップを器用に使い、鼻ほじりながらビデオ通話に登場する我が子に一種の安堵を覚えながら、一人の生活を充実させようじゃないか。