【さらに 思い出し怒り について考える】
先日アップした、「思い出し怒り」について芸能界をはじめから各界から(←盛ってます)様々なご意見を頂き、再び沈思黙考、熟考、熟慮してみた。

どういう時に「思い出し怒り」をするか。

逆接的に考えてみると、どうでいい場面でどうでいい人に対しては「思い出し怒り」はしないようなのだ。うむ。

「どうでもいい」というのは文字通り、どっちに転んでも我が身になんら影響がない「場面」であり「ひと」。
だから、こちらが言いたいことはバシバシ云うし、それでこちらがアチラにどう思われようとそれこそ「どうでもいい」んだなー。

ところが「どうでもよくないひと」に対してはそうはいかない。

なぜ「どうでもよくない」かというと、その人との間のやり取り・結果が、我が身に大きな影響を及ぼすからだ。
「どうでもよくないひと」と対峙する際、はい。\_( ゚ロ゚)ここ重要!
「そのひとが心地よい状態」と「こちらが望む好ましい形」が相反するとき、前者を選択してしまっている。だから、言いたいことが言えない。つまり、そのひとについ阿ってしまっているのだ。

※「阿る (おもねる)」
おもね・る【×阿る】
[動ラ五(四)]人の気に入るように振る舞う。へつらう。「上役に―・る」

そうかー。
「どうでもよくないひと」にへつらってしまっている自分自身に腹を立てている状態。。。これが「思い出し怒り」の正体か。。。

なんか。。ちっちゃいニンゲンだなー。。。自分。。。(´・ω・`)ショボーン

アレだな。太宰の「人間失格」の主人公のようだな。
あ。でも「彼」は「思い出し怒り」はしてなかったなー。
もっと隠遁感を持って生きれば「思い出し怒り」から解放されるのだろうか。どうだろうか。

「思い出し怒りから解放される方法~美猫 著」。
本をいつか書けそうな気がする。印税で暮らしていけそうな気がする。

凹んでもタダでは起きませぬ(。・ө・。)