今朝のこと。
バタバタと仕事の準備をしており、
最後の仕上げってことで、姿見で自分の全身をチェック。

そこで、ふと大学時代の英語の授業を思いだした。

それは、ヴァージニア・ウルフの小説を原文で読む
という授業で。


(ヴァージニア・ウルフ)


もちろん、原文じゃわからんので、日本語訳にしていく、
という形で授業がすすむわけだが。

その中で、「これは絶対、試験に出るだろ~!」
という長い文脈があったのです。

原文はもうぜんぜん覚えてないが・・・
日本語訳は以下のようなものだった


「彼女は、出かけるときに『あなたの後ろ姿は大丈夫よ』
 と注意してくれる存在が居ないということには、もう、
 慣れっこになってしまっていた」


そのときは、「どういうことだ?」

って思っていたんだけど、今朝、それが判明したわけだ。

出かけるとき、自分の「前からみた姿」は鏡チェックできるが
「後ろ姿」ってのは、鏡では、なかなかチェックできん!!

ってことなんだ。

当たり前のことだけど、今日、本当に、大学時代の
英語の教材のヴァージニア・ウルフが言いたかったことが
わかったんだ。

いや、だから、どうってことはないんだが・・・。


同じようなコトが、林真理子・・・だったか小池真理子だったかの
小説にも以下のような会話の部分があって・・・


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「彼女、彼と別れたのね・・」

「え。どうして?本人は何も言ってなかったわよ」

「だって、彼女の背中のサロンパス、左右対称に貼られて
 なかったもの」

「え・・・?」

「一人で貼ったのよ。背中に」

「あ・・。なるほど・・・。」
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 友人の薄いブラウスから透けてみえた背中のサロンパスの
 貼り方が、左右対象でなかった、というところから、
 友人の異性関係の状況まで読み取るという恐ろしい女子能力
 の描写だろうが、そもそも、薄いブラウスのときにサロンパス
 貼るなよ!
 て話で、まあ、ここで言いたいのは、「サロンパス、見えて
 っから、今日は、違う服のほうがいいよ」って「後ろ姿」
 を注意してくれる人がいないのが、ほら、ヴァージニア・ウルフ
 のそれと似ているよな、ってことで。

 

朝のほんの数秒の間に、いろんな思考が駆け巡ったのだったよ。

あ。一応、サロンパスは貼ってません。今日は。わたし。