My Life Story

 


  13歳舞台 女姿の方が青木

 

 

あなたのブランドを立ち上げませんか!!

 

ファッションで起業したい。ファッションデザイナーになりたい。
でもどうしたらよいのかさっぱりわからないとお悩みではありませんか。

 

ファッションデザイナーとして
「あなたのブランドを立ち上げる」夢の実現をお手伝いしております
青木磋智子です。京都在住です。

 


このストーリーは、自分のブランドを立ち上げたいけれど、
デザインの経験もない、どうすればよいかわからないと悩むあなたに、
私の体験が参考になればと思い書いてみました。
あなたの参考になれば嬉しいです。

                    
前回は「幼稚園~小学校編」をお話しました。
URL:https://ameblo.jp/benefit2000/entry-12379990879.html

 


今回は、中学から高校卒業までのお話です。

 

 

中学入学以降は、両親は私のする事には一切口を出さず、自由にやりたいようにさせてくれました。

 

父いわく、「家に財産を残せないが、おまえ自身の財産になるようにお金をかけてやるよ」とのこと。
私を信じ、教育、稽古事、好きな事を何でもやりたいようにさせてくれたのでした。

 

父の教育方針は、社会に出たとき、いかなる時も、どんな場でも、どんな人と会っても気おくれすることなく、自信を持って堂々としていられるようにというものだったのです。

 

私のすることに、文句を言ったこと、反対したことはありませんでした。「こうしなさい、ああしなさい」と言ったこともなく、黙ってみていてくれました。

お金が要る時も文句を言わず出してくれました。

 

 

私は大学卒業後ファッション関係の仕事をするようになり、スケッチをすることや針を持って仕事をすることが苦にならず、今でもバッグのどんな修理も新品同様に仕上げることができます。

 

でも、元来、家事、絵を書くこと、手先の仕事は大嫌いでした。
社会に出れば、こういった作業はお金を払って人にしてもらえばよい。その分仕事をして稼げばよいという考えでいました。

 

ですから中学の頃、図工、家庭科の時間が大嫌いでした。
家庭科では、縫い物(浴衣等)、編み物等の作業がありました。

でも大嫌いな科目にもかかわらず通知表は5段階の「5」でした。

 

なぜだか解りますか?
種明かをしますと、授業中の作業が嫌いで家に持ち帰り、母に全てしてもらったのです。

そのため先生に「よくできている」と度々褒められました。だから「5」だったのです。(笑)

母のお蔭で家庭科の苦手意識を持つこともなかったのです。

 

夏休みの宿題も、編み物の先生であった母の作品でした。ピンクの極細毛糸で素敵なカゴ付き巾着バッグを作ってくれたときのことです。

 

保護者の方々が展示品を見に来られ、私の出品したバッグを見て、「中学生でこんな素敵なバッグを作れるなんてすごいな~!! うちの子供はあかんわ~」と口々に話しておられました。

 

近くで聞いていた私は、バツの悪い気持ちと、母の作品を誇らしく思う気持ちとでそこにいられず、そそくさと教室を出ていきました。

 


 


私は、小学校時代はどちらかというと学校では「ぼうっと」過ごしましたが、中学校入学後は、校区が広くなり、友人も増え、友と一緒に過ごす時間も増えました。勉強にも目覚めました。

 

中学での担任の教師が、通知表上位5名には「クラスで何番目、学年で何番目」と書いてくれましたので、私は生来の負けん気が頭をもたげ、トップを目指したのです。そのため自宅での学習時間も増えました。

 

そこで、小学校卒業までは厳しく家事しつけをした母ですが、中学入学後は家事を私にさせることはなく、嫌いな家庭科の作業までもしてくれたのです。
友人との付き合いも勉強も私のしたいようにさせてくれたのです。

 

今から思えば、母は、家では自分が家事を教え込み、日舞の稽古では師匠に行儀作法を教え込んでもらっていたので安心して手を緩めたのかなと思います。180度方向転換ですね。

 

あとで母に家庭科の作業を手伝ってくれた理由を聞くと、あまりに学校でしてくる私の作業がへたくそで使いものにならなかったからと笑っていましたが。

 


中学、高校を通じて友人からの私の印象は、おとなしくておしとやか。「長い髪をなびかせて、校門近くで始業のベルが鳴っても走ることなく、そそと歩いていた。普通は走るよ」と笑っていました。

 

母は、塾通いや家庭教師も私の望み通りに英語と物理別々の人をつけてくれました。稽古の費用、服代(私服のため)、教育費等私のための費用はかさんだと思います。

妹にも音楽関係3人の先生に稽古を通わせていました。
さぞかし家計は大変だったと思いますが、母も仕事をして支えてくれました。

 

ですから、私は費用のやりくりをして好きなように、好きなことをさせてくれる両親に、お金以外で心配をかけるようなことは絶対にしないと思っておりました。

 

両親の家計のやりくりは高校生ともなれば解りますから、その苦労に報いるため、親にとって安心できる娘であること、妹の音楽の教育費がかさむのを考えて、大学は絶対に国立に入学する。この2つを肝に銘じておりました。

 

黙ってやりくりして費用を捻出してくれる両親を見ていると、親に心配をかけないようにしようという気持ちが自然に生まれるものですね。

 

その結果、責任感がうまれ自律心が育ったように思います。
またのびのびと好きにやらせてくれたので、なんのメンタルブロックもなく過ごせました。

 

両親は何一つ文句も愚痴も言わずに好きにさせてくれましたので、私は常に自分に責任を持ち、律することが身についたように思います。 
長い目で見た生涯の生き方にも影響をおよぼす教育をしてくれたと思います。

 

人からよく「大切に育てられたということがよくわかると」と言われましたが、それが解ったのは30歳半ばですね。

 

このように過ごせたことが、今のファッションの仕事の根底に流れている精神「自分らしさ」「個性を大事に」を培ったように思います。

 

人と同じが好きでなく、制服も嫌いでした。ですから、私は幼稚園から大学まで制服を着たことがありません。(国公立に入ったからということもありますが)

 

友人に言わせると、私は大学入学後ガラリと変貌したそうです。


相馬一進さんの心理テストを受けたことがありますが、結果は「人間的魅力」と「スター性」が100満点中96点でした。

これらは大学入学以降芽生えてきたのかもわかりません。


「スター性」は日本舞踊の会で踊るときの自己表現、工夫培われていったのでしょうね。

 

次回のブログではこの大学時代のことを書きたいと思います。
勿論、デザインとは全く関係のない生活でした。

 

中学から高校卒業までおとなしく過ごした私は、大学時代をどのように過ごしたのでしょうか。お楽しみに!

 

 


 
日舞師匠宅のある「祇園 花見小路」
 


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あなたがファッションデザイナーになって
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