こんにちは。
暖かくなってきましたね。
前回、
次男のIMO(国際数学オリンピック)候補選考についてここに書きました。
結果を報告しておくと——
残念ながら、代表6人には選ばれませんでした。
でも正直に言えば、それほどショックではありません。
全国約5000人の中から本選突破の約20人に残り、春合宿まで進んだ。
それだけで十分すごいことだと、心から思えているんです。
私はよく、
「のび太くんと出木杉くんを産んだ母親」だと言ってきました。
長男にはADHDとASDとLDの3種の発達障害があり、
その中でも学習障害の部分でたくさんの壁がありました。
他の子と同じように勉強することができない。
それは本人にとってはもちろん、
母親である私にとっても、本当に長い長い試行錯誤の連続でした。
調べて、悩んで、なにかしら動いて。
それでも答えが出ないこともたくさんあって。
一方の次男は——
友達が多く、
先生からも誰からも愛されて、
みんなに好かれる。
それでいて
勉強も音楽も抜群にできる。
まるで出木杉くんそのものみたいな子です。
二人は本当に違う。
でも、
どちらも私の子で、
どちらもそれぞれの形で、
精いっぱい生きています。
この二人に対して、
私がずっと意識してきたことがあります。
「あれをしなさい」
「これをしなさい」とは、
なるべく言わない。
自ら何か熱中できること、
興味を持つことを大切にしたい。
私が何か気づいたことがあったら、
「こうしてみたらどうかな」と、
そっと提案する存在でいたい。
そう、
ドラえもんみたいな存在でありたいんです。
必要なときに、必要なものを。
でも決めるのは、子どもたち自身。
考えてみると、
これは教師としての私にも通じることでした。
子どもも、学習者も——
自分の中から湧き出るモチベーションがなければ、
どんな教え方も届かない。
「教師はファシリテーターであれ」
とかよく言われるけど、
ファシリよりももっと大切なのは
「やる気を育てること」だと思う。
私が大切にしたいのは、
その火を消さないこと。
できれば、
もっと燃やすこと。
これは私なりの育児観であり、
教師観でもあります。
これで良かったのかな、と思うこともありました。
でも最近、少しだけ思うんです。
まんざら間違ってなかったんじゃないかな、って。
彼らになんだか頼りにされているような気がするんです。
長男にはほとんどなかったけど、
次男の反抗期はすごかったです。
始まりが早かったぶん、終わるのも早かった。
中2の頃には終わっていた。
息子の友達がこれを読む可能性があるから、
ここで詳細は書きませんが、
今は親子の時間が本当に楽しいんです。
日々のコミュニケーションの成果かな〜
とか思っています。
さて、
ここから仕事の話をします。
この3ヶ月は、
良い経験がたくさんありました。
授業自体は、ものすごく楽しかった。
前回のブログに書いたL君の言葉は、
今も心の中にあります。
でも同時に、
この学校は自分には合わないとも、
はっきり気づきました。
きっかけは、
あるアメリカ人の学生J君が
私に語りかけてくれたことでした。
「今の学校の指導方法が自分に合っていないように思う。きちんと理解できていない状況で、無理に話すことを強制される。わかっている学生、わかっていない学生、わかっているつもりだけど実は間違えている学生が混在しており、カオスになる。それがものすごいストレスだ。」という悩みでした。
J君の言葉を聞いて、
私は改めて思いました。
学習者のモチベーションは、環境で簡単に削られる。
でも環境次第で、驚くほど伸びもする。
その環境を作ることが、教師の仕事だと私は思っています。
J君の言葉がとても胸に染みて、
「学校として、一人ひとりに合った学習環境をもう少し整えてあげられないか」と
主任に意見を上げてみたんです。
でも
返ってきた言葉は、
「それはあなたのビリーフです。学校のやり方ではありません」。
私が伝えたかったことは、
そこで終わりにされました。
問題がすり替えられたような感じを受けました。
個人の工夫としてならどうかと聞いても、
「組織にいる限りは上のやり方に従ってもらわないと困る」と言われました。
対話ができない
そう感じた瞬間でした。
J君の言いたいこと、
すごくわかるんです。
この学校の「話す」中心のカリキュラムでは
媒介語が0のみならず、
文字情報もほとんど与えず、
単語帳も文法解説書も作成したり配布したりはしないんです。
紙でアナログでも学習したい学生って、
すごく多いと思うんです。
長男のようなLDタイプは尚更。
音と文字を同時に聞いて見ないと、頭に入らない。
LDがなくても、
文字情報と音情報は、
両方あったほうが認知理解スピードは格段と上がるはずだと私は思います。
学校が提供している
テキストの会話スクリプトの資料は全てデジタルなんです。
しかもこれは「授業中には絶対に見てはいけない」と
この学校では指導しています。
自宅学習用とのことですが、
このスクリプトには問題集の答えも一緒にされており、
ものすごく見にくい。
新出単語もそうなのですが、
学校が共有する資料のほとんどが、
とにかく見にくい。
印刷してあげるか、
スマホでも見やすいように工夫して作成するだけで、
ずいぶん違うはずなのに。
試しに私が一つ作成してみたところ、
「学生の自立を妨げる」
?と言われました。
この学校の指導方針について、
初日のオリエンテーションで学生たちに見せる資料があります。
その内容をここに書くわけにはいきませんが……
Claudeに読んでもらいました。
整理するとこんな感じです。
・直接法・媒介語不使用、新文型→会話タスク→文法提示の順序、ペンを持たず文字を読まずに会話練習——という1段落目。
・ところが2段落目には「意味と言語形式両方に焦点を当てた学習者主体のタスク」「学習者同士が対話しながら学ぶ環境」とある。
1段落目とは明らかに矛盾していて、別の理念をコピペで継ぎ足したような印象。
・3段落目は「文法が十分理解できないうちに会話練習することに不安を感じる人もいるかもしれないが、頭で考えすぎず話してみることが上達の秘訣」——学習者の不安を「思い込み」として処理する論法。
…なるほど、と思いました。
学校の方針に従うこと自体は理解できます。
でも、
現場の声に耳を傾けること、
一緒に考えようとすること——
そのような姿勢が、
少なくとも私には見えなかった。
それでも、
この経験は私にとって本当に大きな学びになりました。
どんな環境であれ、
そこで感じた違和感や気づきは、
教師としての自分を育てる材料になる。
そう思っています。
そしてこれからは、
もっといろんな日本語学校を知りたい、
という気持ちが強くなりました。
それぞれの学校が持つ文化や方針の違いを、
自分の目で見て、感じてみたい。
子育てでも、教壇でも、
私が大切にしてきたことは変わりません。
目の前の人が「やってみたい」と思える瞬間を作ること。
そのためのスキャフォルディング(足場かけ)を準備してあげたい。
それだけです。
それが叶う場所で、次は働きたい。
新学期は責任を持ってこちらの学校で勤める予定です。
6月末の退職、ということです。
もう次の学校の目星をつけています。
「切り替えが早い!」
と思いましたよね?
と思いましたよね?はい。
私は切り替えの達人です

そして、
カリスマ日本語教師のはま先生が、
この3月でこの学校を去られました。
一度もお会いできないまま。
それがとても残念で、
今も少し胸に引っかかっています。
先生もまた、同じような何かを感じておられたのかもしれない。
そう思うと、静かに腑に落ちる部分もあります。
新学期は明日から。
また走り出します。
