靴の日
3月20日、21日はお教室はお休みです。
先週の金曜日の夜のクラスで話題に上ったのですが、3月15日は『靴の日』だそうです。全然知らなかったのですが、来年は『靴の日』になにか、イベントでもしましょうか?
赤い靴~履いてた~おんなのこ~♪の歌も誰もちゃんと歌詞を覚えている人がいませんでしたが、「悲しい曲なんだよね~』『異人さんに連れられちゃうんだよね』って、クラスで話してたら、金曜日夜のクラスの乙女座のS君が以下の情報を下さいました。
先日のお教室で話していた靴の日と赤い靴の話です。
ウィキ引っ張っただけですけど・・
日本靴連盟が1932(昭和7)年に制定。
1870(明治3)年、西村勝三が、東京・築地入船町に日本初の西洋靴の工場「伊勢勝造靴場」を開設した。
陸軍の創始者・大村益次郎の提案によるもので、輸入された軍靴が大きすぎたため、日本人の足に合う靴を作る為に開設された。
静岡県
清水市
有渡郡
不二見村(現在の静岡市
清水区
宮加三)出身の岩崎かよの娘・きみ(1902年
(明治
35年)7月15日
- 1911年
(明治44年)9月15日
)がその赤い靴を履いていた少女のモデルとされた。その「定説」は次のとおりである。
岩崎かよは未婚の母としてきみを育てていたが、北海道に渡り、鈴木志郎
と結婚する。そして、きみが満3歳の時、当時開拓地として注目されていた北海道
の開拓農場へ入植する。しかし、開拓生活の厳しさもあり、かよは義父佐野安吉の仲介により、娘・きみの養育をアメリカ人宣教師
のヒュエット夫妻に託すことにした。
やがてヒュエット夫妻は本国に帰る事になるが、その時きみは結核
に冒されており、アメリカに連れて行く事が出来ず、そのまま東京
・麻布
の鳥居坂教会の孤児院
に預けられてしまう。きみは孤児院で母親
に会うこともできず、9歳で亡くなったという。母親のかよは、きみはヒュエット夫妻と一緒にアメリカ
に渡ったものと思いこんでいて、きみが東京の孤児院で結核
で亡くなったことは知らされないまま、一生を過ごした。
う~ん。3月15日とも横浜とも関係のないような。。。。でも、やっぱり悲しい話でしたね。
赤い靴はなんだか、悲しげ。他にも赤い靴を履いて踊り続けて止まらなくなる少女の話もありましたよね?(うろ覚え。。)
夜の繁華街には赤いヒールを履いているお姉さん達が多いいような。。。
悲しくない、カッコいい赤い靴を作ってみたいですね。