快楽のすすめ | ”Benchwork study Laboratory" 英国式 靴作り教室

快楽のすすめ

先日、家で靴を作っていたら左手の親指を深々とカット。真っ赤な血が滴り、一瞬ギョ!としたが指を切るのなんて慣れきっていたので、あまり傷口も見ずに絆創膏を巻いて仕事を続行していたら、どんどん絆創膏から腕の方に血が流れ出して、傷口を見てみたらクラクラしてしまった。こんなに深い傷見たことない。今にも傷口がしゃべり出しそうな顔してこっちを見るので、絆創膏をきつーく4枚使って巻いて仕事を続行。つり込みまではその日に終わらせたかったので、がんがん釘を打ち込んでいたら、何たることか重症を負っている親指をハンマーで思いっきり叩いてしまった。一瞬目の前が白黒画面に!体が打ち震える痛さ!(涙)


その様子を一部始終冷静に見ていた夫がポツリ。「なんか、中毒患者みたい。」 「何の?」  「靴作りの」

は~、やっぱり?なんか最近そんな気がしていたよ。オーダーが詰まってて週に7日靴を作っていると思っていたが、それ以前に靴を作っている時が一番落ち着くのだ。今夜はゆっくりDVDでも見て。。。なんて、考えが浮かぶと『その前に、インソールだけ付けておこう!』って仕事が始まってしまう。


これは一体ナンなんであろうか?と今日一日ワークショップで靴を作りながら考えた結果、私にとって靴作りとは『快楽』なのであると結論。なんだか、巷では「幸運をつかむ、何とかメーク!」だの「幸福な生き方」だの幸福幸福と電車のつりビラがうるさいが、(そうでもないか?)多くの宗教家や道徳家が幸福とは”持続的な生活の満足”であり、「快楽」とは”瞬間的な満足”であるといって、なんだか「快楽」を軽蔑しがちですが、幸福ほど曖昧で、実態がつかめず、生活感みえみえの甘ったるい言葉で、優等生のような響きがあるでしょうか!まったく胡散臭い!それに比べて「快楽」は密かで、とても個人的な美学を秘めた怪しげな響き。いいじゃないか、瞬間的な満足!幸福なんかを求めるのを止めて、快楽へのめり込もう!幸福を求めるから自殺者なんかも増えるのだ。快楽を求めれば、もっと一日が充実すると思います。ちょっと、指の痛さにより脳がおかしくなってしまったのかも知れませんが(笑)、明日も快楽に溺れる私です。(怪しげだな、笑)