【平成30年4月10日(火)】
【石上広高宮】(仁賢天皇元年~) 所在地:奈良県天理市石上町976-1 姫丸稲荷神社(平尾山稲荷神社)
第24代仁賢天皇 在位:仁賢天皇元年(AD488)~仁賢天皇11年(AD498)
都は石上広高宮(いそのかみのひろたかのみや)奈良県天理市石上町、あるいは同市嘉幡町か。
姫丸稲荷神社へは公共機関ではJRまほろば線「櫟本」駅から南東約1.8km、車では名阪天理インターからR169を南下して3つ目の交差点を東へ、しばらく行くと道幅がかなり狭くなり写真のような一本道。
道はさらに狭くなり上り坂ですので大きい車では苦しいかもしれません。
小さい神社ですが、一応、地道の駐車場がありました。
稲荷神社らしく朱色の鳥居がずらりと並んで建っています。
平尾山案内記によると
平尾山稲荷神社の境内を中心として平尾山の大部分は旧地名を「宮の屋敷」といった。日本書記によると第24代仁賢天皇の石上広高宮やその御父市辺押磐皇子の石上市辺宮はこの「宮の屋敷」の地にあったと考証されている。更に東方には大塚、うわなり塚など5世紀頃の大きな前方後円墳や何十という古墳が残っている。又、明治16.7年には神社の東方100mの地より2個の銅鐸が出土して、この地域が古代の文化中心地帯であったことを立証した。特に前期仁賢帝の時代は大和朝廷の所在地としてわが国政治・文化の中心だったのである。(以下省略)