仁孝天皇 御胞衣塚(西院春日神社) | 倭は国のまほろば…残された憧憬を訪ねて…。

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【平成29年11月21日(火)参拝】

 

仁孝天皇 御胞衣塚 所在地:京都市右京区西院春日町61 西院春日神社境内

 

「上桂」からは桂経由、京都線で「西院」の「西院春日神社」へ

 

ここにも光格帝同様、仁孝天皇御胞衣塚があります。

               

 

               

 

               

 

               

 

               

 

説明書きには

 胞衣(えな)は出産の時に新生児を包んでいる胎盤です。

 皇室では、皇族のご誕生の際に、この御胞衣(おえな)を皇室と関係の深い神社寺院に埋蔵し、健やかなご成育を祈願される習慣があり、寛政12年(1800年)2月21日、

 仁孝天皇の御誕生の折、この地に御胞衣(おえな)を埋蔵されました。

 高貴な方の御胞衣塚(おえなつか)は、安産や子守のご利益があるとされ、当社では御塚に『子安石』を奉納する風習があります。

 天皇の御胞衣塚(おえなつか)は大変貴重で珍しい史蹟です。

 

仁孝天皇(にんこうてんのう、寛政12年2月21日(1800年3月16日) - 弘化3年1月26日(1846年2月21日))は、第120代天皇(在位:文化14年9月21日(1817年10月31日) - 弘化3年1月26日(1846年2月21日))。諱は恵仁(あやひと)。幼称は寛宮(ゆたのみや)。

光格天皇の第四皇子。実母は勧修寺大納言経逸の女、藤原婧子(東京極院)。

(2017年9月22日付ウィキ抜粋)